心の成長は一生涯終わらない
お休みの日にお買い物
昨日は丸一日お休みをしていたのでお受験の終了した次男、毎日が
エブリディの長男を伴って、ゆっくりとお買い物ができた(平日なので
末っ子は当然ガッコ)。白菜にお豆腐にキノコに長ネギと、ナベの材料
を調達して晩ゴハンはお肉をみんなたくさん食べた。今日のお昼前から
4日間、キンタロー曜日の夜までお仕事だから、「家のコト爺ちゃんと
末っ子のコト頼んどくばい。」と2人には言っておいた。
※14日のバレンタインデーにバランタインを空けてしまったので、新しいボトルを
買ってきた。樽の中に着火して炎を燃やしバニラ香など独特のフレーバーを持つ
「バランタイン・ハードファイヤード」だ。
あたくしは哲学者でもカサノバでもないけど、なぜか哲学的な話題も
恋愛のハナシも大好きだ。自分ではそーゆーものから遠いところに居る
人間だと思っていたんだけど、義父は昔からあたくしのコトを
「哲学者」だとからかっていた。なのでこの手のハナシにご興味のある
方のみお付き合いいただきたい。
心の成長は一生涯
「人の幸福はドブの味、人の不幸は蜜の味」っていうけれど、あたくし
そんなコト思う人の考えって、エライさもしいなって思うね。だって
自分は幸福を切望しているのに、ソレが他人にやってきたら面白くない。
まぁ言い換えれば要するに、自分が出世するのは構わないけれど、
他人が先を越すのはけしからんっていうコトでしょ?幸福ってのは、
自分にとっても他人にとっても同じ価値のものであるハズ。ソレを
自分が得られなくって、他人がたまたま先に得たからといって嫉妬の
炎に燃えてるって、「人としてどうなのよ?」っていいたいね。
あたくしとて普段の会話で冗談交じりに「アナタね、いくら聖人君子
のあたくしでも怒るよ!」な~んてコトいって、自ら聖人君子を自称
しているあたくしではあるけれど、エラソーな人を演じていても
所詮は俗物であるただの人間。そんな気持ちは分からないでもない。
だけどココで決して忘れてはならないのは、自分も過去にその人より
先に、また違った幸福を手に入れていた過去もあったはずなのである、
絶対にね。
「世の中は常ならず」、「人間万事塞翁が馬」って言葉があるように
人間でも企業でも栄枯盛衰ってものがある。栄えるものもやがては
枯れはて盛るものもやがては衰えるのは自然の摂理とも言える。
行きとし生けるものすべてに永遠につづく命なんてものはないのだ。
そんな人生の中の過程において、相手が先に行った、次は自分が先に
出たなんてコトは当然ながらあるワケで、そーゆーコトに一喜一憂する
なんてのも「なんだかなぁ~」ってあたくしだったら思うん
だけどね。まぁ現実には他人の不幸を願う人には自分にその不幸が降り
かかるものである。自分には富や成功や幸福が来てほしいと願いながら
他人には来るなと言ってるのとおんなじだから、いかに慈悲深い神様
とはいえこういうだろう。
「お前の言うコトは阿呆すぎる、お仕置きだな…。」
と、その人の他人に対して願った不幸をお見舞いするワケである。
そーゆーワケだから、他人の不幸なんてものを願うのはおやめなさい。
他人はダマすことができても神様と、そして自分自身を決してダマす
コトなんて出来ないのだからね。
他人の不幸を願う労力と時間があるのなら、自分が幸福になるために、
自分の人生を傑作に変えるには何をどうすればよいのかを考える方が
得策であろう。 究極のところあたくしも、人の幸福を自分のコトの
ように喜べる美しく豊かな心を持ちたいなと、心から思っているん
だけどね。肉体は年齢とともに衰えるコトは避けられないけど、
心の成長のための学びは、生涯続けるコトができるのだからね。
昨日は丸一日お休みをしていたのでお受験の終了した次男、毎日が
エブリディの長男を伴って、ゆっくりとお買い物ができた(平日なので
末っ子は当然ガッコ)。白菜にお豆腐にキノコに長ネギと、ナベの材料
を調達して晩ゴハンはお肉をみんなたくさん食べた。今日のお昼前から
4日間、キンタロー曜日の夜までお仕事だから、「家のコト爺ちゃんと
末っ子のコト頼んどくばい。」と2人には言っておいた。
※14日のバレンタインデーにバランタインを空けてしまったので、新しいボトルを
買ってきた。樽の中に着火して炎を燃やしバニラ香など独特のフレーバーを持つ
「バランタイン・ハードファイヤード」だ。
あたくしは哲学者でもカサノバでもないけど、なぜか哲学的な話題も
恋愛のハナシも大好きだ。自分ではそーゆーものから遠いところに居る
人間だと思っていたんだけど、義父は昔からあたくしのコトを
「哲学者」だとからかっていた。なのでこの手のハナシにご興味のある
方のみお付き合いいただきたい。
心の成長は一生涯
「人の幸福はドブの味、人の不幸は蜜の味」っていうけれど、あたくし
そんなコト思う人の考えって、エライさもしいなって思うね。だって
自分は幸福を切望しているのに、ソレが他人にやってきたら面白くない。
まぁ言い換えれば要するに、自分が出世するのは構わないけれど、
他人が先を越すのはけしからんっていうコトでしょ?幸福ってのは、
自分にとっても他人にとっても同じ価値のものであるハズ。ソレを
自分が得られなくって、他人がたまたま先に得たからといって嫉妬の
炎に燃えてるって、「人としてどうなのよ?」っていいたいね。
あたくしとて普段の会話で冗談交じりに「アナタね、いくら聖人君子
のあたくしでも怒るよ!」な~んてコトいって、自ら聖人君子を自称
しているあたくしではあるけれど、エラソーな人を演じていても
所詮は俗物であるただの人間。そんな気持ちは分からないでもない。
だけどココで決して忘れてはならないのは、自分も過去にその人より
先に、また違った幸福を手に入れていた過去もあったはずなのである、
絶対にね。
「世の中は常ならず」、「人間万事塞翁が馬」って言葉があるように
人間でも企業でも栄枯盛衰ってものがある。栄えるものもやがては
枯れはて盛るものもやがては衰えるのは自然の摂理とも言える。
行きとし生けるものすべてに永遠につづく命なんてものはないのだ。
そんな人生の中の過程において、相手が先に行った、次は自分が先に
出たなんてコトは当然ながらあるワケで、そーゆーコトに一喜一憂する
なんてのも「なんだかなぁ~」ってあたくしだったら思うん
だけどね。まぁ現実には他人の不幸を願う人には自分にその不幸が降り
かかるものである。自分には富や成功や幸福が来てほしいと願いながら
他人には来るなと言ってるのとおんなじだから、いかに慈悲深い神様
とはいえこういうだろう。
「お前の言うコトは阿呆すぎる、お仕置きだな…。」
と、その人の他人に対して願った不幸をお見舞いするワケである。
そーゆーワケだから、他人の不幸なんてものを願うのはおやめなさい。
他人はダマすことができても神様と、そして自分自身を決してダマす
コトなんて出来ないのだからね。
他人の不幸を願う労力と時間があるのなら、自分が幸福になるために、
自分の人生を傑作に変えるには何をどうすればよいのかを考える方が
得策であろう。 究極のところあたくしも、人の幸福を自分のコトの
ように喜べる美しく豊かな心を持ちたいなと、心から思っているん
だけどね。肉体は年齢とともに衰えるコトは避けられないけど、
心の成長のための学びは、生涯続けるコトができるのだからね。
最近、「陰ヨガ」と言う種類のヨガの指導者養成講座を受講しました。ヨガってインドを発祥とする哲学が根底に流れているのですが、この陰ヨガは老子の道教が元になっていて、すごく心が楽になる感覚を味わいました。
人の不幸を云々言っている時間がまずもったいないですよね^^
by Rinko (2019-02-19 12:53)
Rinkoさん、おはようございます。ご訪問、nice&コメありがとうございます。そんな講座を受講されるなんて、ますます何でも教えられるヨガの先生になられてますね^^。このあくなき探究心は私も見習いたいです。人間は生きてる限り、ほとんどは必要のないものなのに不安や心配事に心を奪われがちで、私もそうですけど心の平安を渇望しています。そんなコトを教えるコトのできるRinkoさんは大好きなことをなさっているので人と競うとか、足を引っ張りあうとかの次元にはもとよりいらっしゃらないってのはよく分かります。
by きーちゃん2 (2019-02-28 07:46)