義父との想い出~逢うは別れの始まり~
義父の形見の言葉
過日24日は義父の誕生日だった。10月25日に旅立った義父。
存命していたならば、86歳を迎えるところであった。サブタイトルに
ある言葉「逢うは別れの始まり」は、義父と業務終了後に焼酎を飲み交わ
しながら人生論を語る際この言葉をよく語っていたものだが、その他にも
義父は数々の名(迷)言をあたくしの記憶に形見の言葉として遺してくれ
たのだけれど、出逢いの喜びがあればそれと同じ数の別離(わかれ)の
哀しみがあるのも人生の真実。今改めて義父の遺影の前でこの言葉の意味
を噛みしめることとなった。
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義父の生い立ち
薩摩人で酒豪の義父、思い返せばいろんなところで薩摩人ならではの西郷
どんみたいな豪快なところを発揮してくれたものだけど、それにまつわる
エピソードは次回以降随時ご紹介していこうと思う。
※画像・cazual(カズアル)より引用
義父は1934年(昭和9年)11月24日、鹿児島県国分市(現霧島市)に
生を受けた。薩摩地方の暖かな日差しと青い空に湧き上がる雲の群れ、
見渡す限りに広がる田畑と山々と樹々の緑、野山を吹き抜ける爽やかな風
さえずる鳥や虫たちの声。遠くには桜島を望む風景。そんな民家もまばら
な田園地帯の、牧歌的で風光明媚な土地で幼少期を過ごした義父は、
終戦後の経済的に決して裕福とはいえない家庭事情のために高校、大学へ
の進学切望していたが、その希望はかなわずその反発心からか、15歳で
家を出て炭鉱での重労働に身を投じる。その後成人を迎えてから警察官
として勤務後、某ミシンメーカーの幹部、支店長を務めるが転勤族のため
九州各地を転々とするコトになる。佐賀出身の義母(1936-2006)
と結婚。
鹿児島県川内市(現薩摩川内市)在住時にふたりの娘
(長女、のちの義姉1966~、次女、のちの妻1968~2016)をもうける
20数年勤務した某ミシン会社が経営が悪化し倒産が懸念される(実際に
は1994年に会社は消滅する)噂が会社内に流れ、さながら船が沈没する
予兆を察知したネズミの逃げるごとく退職者が相次ぐ中、義父は一足先
に転職して久留米市で店舗経営しているかつての部下に連絡を取るや
否や「すぐ来てください!」と声が掛かり一家で久留米市に移住。
1979年(昭和54年)前職元部下の経営する店舗で働きながら店舗経営
ノウハウを学び半年後に自身の店舗を開業。鹿児島出身っていうコトで
、コレについては印象的なエピソードがある。義父が店舗経営を開始
してから営業活動を始めた当初、同業他社のセールスは「今度前任者に
変わって来た人は鹿児島出身らしい、よそ者ですよ。」というネタで
攻めてきたらしい。そうしたらそのお客さんはこう答えた
「鹿児島出身で何が悪い、よそ者だから自分とこの商品を買えっていう
営業か?おれも鹿児島の出身だ!汚いマネするな、帰れ!!」と、
追い返したそうだ。よそ者ってコトが商売上不利だと思っていたなかで
同じ商品を扱っている競合他社が姑息な手口を使って勧誘した先で同郷
のお客さんに成敗された、まことに痛快なエピソードであった。
前職でミシンを売り歩いて培った抜群の営業スキルと20代から支店長職
を務めた行動力と統率力で瞬く間に頭角を現し開業後2年で2号店を
開業する。
安易な返答がすべての始まり
もしも義父がこの後急速に普及が進む携帯電話事業を手掛けていたと
したら、更に桁違いの成果を挙げていただろうコトは想像に難くない。
そんな義父とあたくしが初めて出逢ったのはあたくしが20歳を迎えた
翌年の1985年(昭和60年)のコトだった。社員募集を出していた
義父の店に面接のお願いをするためにデンワに出た義母に場所を訊いた
ら歩いて2分のど近所だった(笑)。
で、面接で初めて義父と対面したわけだけど、ひと通り経歴を訊いた後
「時間も不規則でハードな労働だけど出来ますか?」という義父の問い
に良く考えずに「ハイ、やります!」と、安易な返答をしたことが、
すべての始まりで、この義父と後にウン十年もの付き合いとなるなど
とは、当時のあたくしは思いもしなかったのであった。
次回に続く…。
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※画像・cazual(カズアル)より引用
義父は1934年(昭和9年)11月24日、鹿児島県国分市(現霧島市)に
生を受けた。薩摩地方の暖かな日差しと青い空に湧き上がる雲の群れ、
見渡す限りに広がる田畑と山々と樹々の緑、野山を吹き抜ける爽やかな風
さえずる鳥や虫たちの声。遠くには桜島を望む風景。そんな民家もまばら
な田園地帯の、牧歌的で風光明媚な土地で幼少期を過ごした義父は、
終戦後の経済的に決して裕福とはいえない家庭事情のために高校、大学へ
の進学切望していたが、その希望はかなわずその反発心からか、15歳で
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九州各地を転々とするコトになる。佐賀出身の義母(1936-2006)
と結婚。
鹿児島県川内市(現薩摩川内市)在住時にふたりの娘
(長女、のちの義姉1966~、次女、のちの妻1968~2016)をもうける
20数年勤務した某ミシン会社が経営が悪化し倒産が懸念される(実際に
は1994年に会社は消滅する)噂が会社内に流れ、さながら船が沈没する
予兆を察知したネズミの逃げるごとく退職者が相次ぐ中、義父は一足先
に転職して久留米市で店舗経営しているかつての部下に連絡を取るや
否や「すぐ来てください!」と声が掛かり一家で久留米市に移住。
1979年(昭和54年)前職元部下の経営する店舗で働きながら店舗経営
ノウハウを学び半年後に自身の店舗を開業。鹿児島出身っていうコトで
、コレについては印象的なエピソードがある。義父が店舗経営を開始
してから営業活動を始めた当初、同業他社のセールスは「今度前任者に
変わって来た人は鹿児島出身らしい、よそ者ですよ。」というネタで
攻めてきたらしい。そうしたらそのお客さんはこう答えた
「鹿児島出身で何が悪い、よそ者だから自分とこの商品を買えっていう
営業か?おれも鹿児島の出身だ!汚いマネするな、帰れ!!」と、
追い返したそうだ。よそ者ってコトが商売上不利だと思っていたなかで
同じ商品を扱っている競合他社が姑息な手口を使って勧誘した先で同郷
のお客さんに成敗された、まことに痛快なエピソードであった。
前職でミシンを売り歩いて培った抜群の営業スキルと20代から支店長職
を務めた行動力と統率力で瞬く間に頭角を現し開業後2年で2号店を
開業する。
安易な返答がすべての始まり
もしも義父がこの後急速に普及が進む携帯電話事業を手掛けていたと
したら、更に桁違いの成果を挙げていただろうコトは想像に難くない。
そんな義父とあたくしが初めて出逢ったのはあたくしが20歳を迎えた
翌年の1985年(昭和60年)のコトだった。社員募集を出していた
義父の店に面接のお願いをするためにデンワに出た義母に場所を訊いた
ら歩いて2分のど近所だった(笑)。
で、面接で初めて義父と対面したわけだけど、ひと通り経歴を訊いた後
「時間も不規則でハードな労働だけど出来ますか?」という義父の問い
に良く考えずに「ハイ、やります!」と、安易な返答をしたことが、
すべての始まりで、この義父と後にウン十年もの付き合いとなるなど
とは、当時のあたくしは思いもしなかったのであった。
次回に続く…。
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お義父さんとの思い出が沢山あふれますね。
天国で喜んでいらっしゃると思いますよ(^。^)
by Rinko (2020-12-01 08:13)
なかなか剛毅なお義父さまだったのですね。
「出会いは別れの始まり」。。
出会ってしまえば必ず別れは来ますものね。
普段はそんなことは意識していませんが…
お義父さまとの出会い。続きが気になります^m^
by ミケシマ (2020-12-01 14:29)
Rinkoさん、おはようございます。ご訪問、nice&コメありがとうございます。義父との想い出は辛くて悲しいものから愉快なものまでより取り見取り、ご紹介していきます^^。
ミケシマさん、おはようございます。ご訪問、nice&コメありがとうございます。妻よりも長い義父との想い出はシリアスなものから思わず吹き出すような愉快なものまで様々ご紹介しますので楽しみにしててくださいね。
by きーちゃん2 (2020-12-03 02:25)