「言葉の日」に思うコト
5月18日の今日は「言葉の日」なんだって。
「タダの語呂合わせじゃんwww。」って、片付けるのもイイかも
しれないんだけど、それはそれで、言葉の大切さやルーツとなった
エピソード、っていうものを改めて考え、再認識するための1日なんだと
考えてみるのも宜しかろう、とも思うね。で、あたくしいつもね、
拙ブログではチャラい文章と軽~いノリでいってるものだから、多分
皆さんから「説得力ないぞ~」って言われるかもしれないね。
でもちょっとだけ付き合ってもらってもイイ?
古来、日本人は言葉を言霊(ことだま)って表現するぐらい、言葉を
大切にしている民族で、そんな習慣があるよね。無論世界中どこでも
金言、名言、至言ってのは存在していてどこの国の諺や名言、金言も
美しく、心打つものがたくさんあるし、それは後世に遺していきたいと
願ってやまないもの。
あたくしの好きな言葉は
「人間万事塞翁が馬」=じんかんばんじさいおうがうま
っていう中国の故事にルーツを持つ諺だ。1年ぐらい前の記事にも
書いたコトがあるんだけど、そのエピソードがそこいらの小説よりも
面白いんで今回はご紹介しよう。
※画像tabinaka.co.jpより引用
※中国の北のほうに占い師みたいな村の長老が住んでいた。さらに北には
胡という異民族が住んでて、国境には城塞があった。ある時、その長老の
馬が北の胡の国の方角に逃げてってしまった。このあたりの北の地方は
良馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって長老を慰めに
行ったのだけど、「この事が幸福にならないとも限らないよ。」
と言った。
そしてしばらく経ったある日、逃げ出していった馬が胡の素晴らしい駿馬
(しゅんめ)を連れて戻ってきた。そこで近所の人たちがお祝いを言いに
行くと、長老は首を振って言った。
「この事がわざわいにならないとも限らないよ。」ってね。
しばらくすると、長老の息子が乗っていた駿馬から落馬して足の骨を
折ってしまった。近所の人がかわいそうにと思って慰めに行くと、長老は
平然と言った。「この事が幸福にならないとも限らないよ。」と。
それからしばらく経ったころ、胡の異民族たちが城塞に襲撃してきたため
城塞近くの若者はすべて戦に駆り出され、何とか胡の襲撃から村を守る
事はできたものの、その戦で多くの若者の命が失われた。しかし、長老の
息子は足を怪我していたため戦に行かずに済んで、無事だったという。
ココで言う「人間万事塞翁が馬」の人間は、「じんかん」=世間という
意味で、「塞翁」ってのは城塞に住む翁=老人って意味。城塞に住む馬が
もたらした運命が、福から禍へ、禍から福へと人生に変化をもたらす。
なので、禍福っていうのが想像のつかないものである。っていうのが
この諺の意味なワケ。
あたくし自身も人生をこの諺に準えて、良いコトも悪いコトも起こるから
一喜一憂せず人生を楽しんでいこうと考えている。
しかし、そうかと思えば言葉を使って人の心をを傷つけたり、失望や
落胆を味わわせ絶望させたりするコトもできる。故意であろうが過失で
あろうが、何か人の心の傷を広げてつつき回すような言葉を選んで
浴びせるような人間たちもいる…。
意外と身近にね。そぉだね、例えば夫婦。言わずもがな夫婦って何時も
つまらないコトでしょっちゅう喧嘩するものだけど、ケンカをして相手を
傷つけてやろうと考えた夫婦は恐ろしい…。お互いホントーに酷い言葉を
選ぶ。まぁ相手を傷つけるコトが目的だから、一撃で相手の心に深手を
負わせるようなひとことを見舞うのだ。
いや、あたくしも妻とそんなケンカはたくさんしたよ。でもその後に
残るのは後悔と自責の念だけ。あたくしも言い過ぎたときは謝るが、
ケンカを仕掛けてくるのは99%妻の方(笑)!ウソじゃないよ。
で、仕掛けられたあたくしは言われたら言い返すしかない…。
ココには書けないような罵詈雑言を言ったり言われたりするんだけど、
妻は大概気づくのが遅く、後になって「言い過ぎたとは思ったんだけど
止まらなくて。コレはもう死ななきゃ直らん!」あ、あのですね…。
彼女には常々、「そーゆーコト、ボロカスに言う前に気づいていうの
やめてくれ!」って言ってたんだけどね。
しかし今、上の妻にその話題で文句を言ったところで、
「アタシ、死んだからもう直ったよ。」
って言われるに違いないんだけどね。
「タダの語呂合わせじゃんwww。」って、片付けるのもイイかも
しれないんだけど、それはそれで、言葉の大切さやルーツとなった
エピソード、っていうものを改めて考え、再認識するための1日なんだと
考えてみるのも宜しかろう、とも思うね。で、あたくしいつもね、
拙ブログではチャラい文章と軽~いノリでいってるものだから、多分
皆さんから「説得力ないぞ~」って言われるかもしれないね。
でもちょっとだけ付き合ってもらってもイイ?
古来、日本人は言葉を言霊(ことだま)って表現するぐらい、言葉を
大切にしている民族で、そんな習慣があるよね。無論世界中どこでも
金言、名言、至言ってのは存在していてどこの国の諺や名言、金言も
美しく、心打つものがたくさんあるし、それは後世に遺していきたいと
願ってやまないもの。
あたくしの好きな言葉は
「人間万事塞翁が馬」=じんかんばんじさいおうがうま
っていう中国の故事にルーツを持つ諺だ。1年ぐらい前の記事にも
書いたコトがあるんだけど、そのエピソードがそこいらの小説よりも
面白いんで今回はご紹介しよう。
※画像tabinaka.co.jpより引用
※中国の北のほうに占い師みたいな村の長老が住んでいた。さらに北には
胡という異民族が住んでて、国境には城塞があった。ある時、その長老の
馬が北の胡の国の方角に逃げてってしまった。このあたりの北の地方は
良馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって長老を慰めに
行ったのだけど、「この事が幸福にならないとも限らないよ。」
と言った。
そしてしばらく経ったある日、逃げ出していった馬が胡の素晴らしい駿馬
(しゅんめ)を連れて戻ってきた。そこで近所の人たちがお祝いを言いに
行くと、長老は首を振って言った。
「この事がわざわいにならないとも限らないよ。」ってね。
しばらくすると、長老の息子が乗っていた駿馬から落馬して足の骨を
折ってしまった。近所の人がかわいそうにと思って慰めに行くと、長老は
平然と言った。「この事が幸福にならないとも限らないよ。」と。
それからしばらく経ったころ、胡の異民族たちが城塞に襲撃してきたため
城塞近くの若者はすべて戦に駆り出され、何とか胡の襲撃から村を守る
事はできたものの、その戦で多くの若者の命が失われた。しかし、長老の
息子は足を怪我していたため戦に行かずに済んで、無事だったという。
ココで言う「人間万事塞翁が馬」の人間は、「じんかん」=世間という
意味で、「塞翁」ってのは城塞に住む翁=老人って意味。城塞に住む馬が
もたらした運命が、福から禍へ、禍から福へと人生に変化をもたらす。
なので、禍福っていうのが想像のつかないものである。っていうのが
この諺の意味なワケ。
あたくし自身も人生をこの諺に準えて、良いコトも悪いコトも起こるから
一喜一憂せず人生を楽しんでいこうと考えている。
しかし、そうかと思えば言葉を使って人の心をを傷つけたり、失望や
落胆を味わわせ絶望させたりするコトもできる。故意であろうが過失で
あろうが、何か人の心の傷を広げてつつき回すような言葉を選んで
浴びせるような人間たちもいる…。
意外と身近にね。そぉだね、例えば夫婦。言わずもがな夫婦って何時も
つまらないコトでしょっちゅう喧嘩するものだけど、ケンカをして相手を
傷つけてやろうと考えた夫婦は恐ろしい…。お互いホントーに酷い言葉を
選ぶ。まぁ相手を傷つけるコトが目的だから、一撃で相手の心に深手を
負わせるようなひとことを見舞うのだ。
いや、あたくしも妻とそんなケンカはたくさんしたよ。でもその後に
残るのは後悔と自責の念だけ。あたくしも言い過ぎたときは謝るが、
ケンカを仕掛けてくるのは99%妻の方(笑)!ウソじゃないよ。
で、仕掛けられたあたくしは言われたら言い返すしかない…。
ココには書けないような罵詈雑言を言ったり言われたりするんだけど、
妻は大概気づくのが遅く、後になって「言い過ぎたとは思ったんだけど
止まらなくて。コレはもう死ななきゃ直らん!」あ、あのですね…。
彼女には常々、「そーゆーコト、ボロカスに言う前に気づいていうの
やめてくれ!」って言ってたんだけどね。
しかし今、上の妻にその話題で文句を言ったところで、
「アタシ、死んだからもう直ったよ。」
って言われるに違いないんだけどね。
5月18日が「言葉の日」だと初めて知りましたー!
「人間万事塞翁が馬」、去年の2月に赤信号で信号待ちしている時に後ろから追突され、むち打ちになったり100%被害者なのに相手の保険会社と戦わなくちゃいけなくなった時、この言葉を胸に過ごしていました。悪い事もあれば良い事もある!なにが福に転じるか分からない!って^^
私も好きな言葉です♪
by Rinko (2018-05-21 08:30)
Rinkoさん、おはようございます。ご訪問、nice&コメありがとうございます。祝祭日以外にも何かしらイベント日があるみたいですけどカーナビが言ってました^^。え”~っ!止まっているクルマに追突されてなぜ因縁をつけられるんでしょうか?幸せに過ごしていても不愉快な思いをするのは避けられないんですよね。あの言葉通り不運と幸運は後でどう転ぶのかわからないものですね。
by きーちゃん2 (2018-05-24 09:13)