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みんな大好き!お金のおハナシその3~真理へと至る道~

世の中にはいろんな人がいる。

十人十色というように十人いれば10通りの考えがあるからね。イイ人が

いればヤなヤツもいるし、人の幸せを自分のことのように喜ぶ人がいる

反面、人の幸福が断じて許せない人がいたり、人が苦しむ姿を見るコトに

快感を覚えるサディスティックな人(サイコパスっていうのか?)

常人の想像の遥か斜め上をいく思考のクセの強い人なんかもいる。


心のサプリ「ヌーススピリッツ」


不純な始まりが真理に至る

前回の続き…。

みんな大好き!お金のおハナシ、シリーズ第3回目!

金運上昇の秘策メソッド、トイレ掃除を行ってン年間。だけども何の

効果も現れてこない。そこで愚痴や不満を垂れ流し、そして極めつけは

情報発信者へ大クレームをブチまけるという具合だ。

その気持ちは分からなくもないんだけど、こーゆー人の心の真相に宿る

思考が「残念」過ぎる感が多々見受けられるね。「こんなコトして何に

なるの?」「こんなんで金運上がりゃ誰も苦労しないよ」な~んてコト

いってネガティブな思考を言葉でバラまいていちゃぁ烏枢沙摩明王様

だって聞き届けてはくれないよ[ふらふら]。どうせトイレ掃除をやるんなら、

心はワクワク、ニコニコ笑顔でやらなくちゃ[わーい(嬉しい顔)]

コレはなにもトイレ掃除という行為だけに限ったコトではないんだ

けれど、やっぱり習慣化して日々の行動に落とし込むためには、

最初の頃こそ動機が不純なものだったり、なにかしら邪念っていうか

、他人にいえないような邪な考えっていうのが人には心のどこかに

根差している。

とはいえあたくしたちは人間なのだから、むしろそーゆーものがあって

当たり前なの。聖人君子でもないのだから、むしろ歓迎すべきコト、

その心は「何かを成し遂げるのに、動機は不純なほど良い」というのが

あたくしの持論であるからだ(爆)。

今回はたまたまお金にまつわるハナシからトイレ掃除を例に挙げたけど

、たとえ下賤で不純な動機で始めた行動であれど、長い期間継続して

いくうちに心境に変化が生じ、そしてひとつの真理に思い至るというの

もまた自明である。


くらしキレイ。ダスキンのプロも使うお掃除用品


習慣の積み上げが真理に結実

ココで参考までに、過去の傷心で心に深い闇を背負った

「ある独りの男の物語」をご紹介させて頂きたい。


世間を見渡せば、何処でも目にするような、ありふれた出で立ちの、

平凡な独りの男がいた。ある日のこと、男は毎朝仏前で手を合わせる

ことを習慣にしようと思い立つ。それは今から遡ること数年前、

本業の傍ら自身で執筆したエッセイや小説を出版した経験を持つ著者が

運営するブログ記事の中に、著者の「手を合わせることによって心の

安らぎを得る」という一文が彼の記憶に刻まれていたから。


かつて、その男の愛した今は亡き妻と、男の幼少期から愛情注いで

育てた祖母を想ってのこと。男は彼女たちにとって、自分が良い夫、

良い孫ではなかったのではないかという疑念に囚われ、彼女らが亡く

なった後もなお、もう何年間も引き摺るように心の奥底でずっと悔いて

おり、それはあたかも皮膚の中まで刺さり込んで抜くことの出来ぬ、

小さな棘のように感じていた。激痛はない、但し緩慢だがじわじわと、

ずっと続いてゆく心の痛みに呼応するかのように湧き上がる、何とも

いえぬ歯がゆさと忌まわしさの入り混じった感情に堪え忍ぶ日々を男は

送っていた。彼にしてみれば、相手が生きているならば、自分の至らぬ

点も言葉尽くして話し合う、あるいは行動を示すなどの努力も出来る

やも知れないが、後悔先に立たず、孝行したいときに親はなしである。

ならば、せめてもの罪滅ぼしに…と何がしか、今の自分に出来ることは

ないものかと自問自答を重ねたこともほんの小さなきっかけであった。

それから男は毎日朝起きると仏壇の前で手を合わせた。最愛の妻と祖母

共に笑い過ごした日々の想い出を記憶の隅から呼び起こしながら。

彼は言葉足らずで自分の思いを人に伝えることが決して上手いとは

いえない。心ならずも人から誤解を受け悪く捉えられる場面も少なくは

なかった。自らを怠惰な人間であるとも自嘲気味に人に語っていたが、

実際に習慣として定着するまでは、時折忘れることもしばしばあった。

だがそれでも辞めずに継続してゆくことで、やがて毎日の習慣としての

行動が定着した。そんな習慣を何年も続けてゆく中で、次第に男はこの

習慣の奥底に見え隠れする「ある真理」に気づき始めていた。

27879-06.jpg
※画像・TABIZINEより引用

初めの動機こそ妻や祖母に対する後ろめたい気持ちに突き動かされた

ことではあったが、仏前に座り手を合わせ、静かに目を閉じ沈思黙考を

する時、黎明の薄暗さから夜明けとともに部屋に射し込む朝日の陽光が

金粉をちりばめたかの如く柔らかな輝きを放つ、その美しさと心の内

から暖かくなるかのような平安な空気にいつしか包まれるように感じて

いることに。そして妻と祖母への罪滅ぼしのためにと思って始めた毎日

の習慣の積み上げが、気が付けば実は自分自身の心の平安と彼の人生に

関わり彼を生かし続けるているすべての存在に感謝する思いとともに、

彼の真理として結実していたのだということに。    ~おわり~


次回に続く…。


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