愛する家族との別れ~義父の旅立ちを見送って~
旅立った義父
妻の父であり昨年8月より自宅近い病院に併設されている
住宅型有料老人ホームに入っていた義父が先日、義母と妻のいるところに
旅立ちました。
お通夜のための斎条で再会した義父は、眠るような安らかな表情を湛えて
いた。原因は肺の病気で癌ではなかったんだけど、昨年施設の運営元の
病院で撮影した胸部レントゲンに小さな影のようなものが見つかったが、
医師の診断では癌ではないとのこと。じゃぁいったいなんなのだと病名も
知らされなくてモヤモヤしていたものだが、分かっていたのは肺の組織が
高齢もあって石灰化したみたいに硬くなり弾力性が低下している。呼吸、
ガス交換という肺の担う重要な役割に支障が出るコトが懸念された。
ところがその後、小さい影だったはずの病巣が短期間の間にかなり大きく
広がっていて、義父もかなり辛そうな感じが分かった。義姉が亡くなる
1週間ほど前から病室に入っている義父に付きっ切りになったけど、親戚
関係にお見舞いに来てもらうコトを提案した義姉に、義父本人は頑なに
拒否していた。
義父は昔からそうだったんだけど、過去に胃潰瘍や肝臓がんで入院、手術
をしたコトがあるんだけど、その際もあたくし以外の家族にも他言をする
なとクギを刺していた。その心は「弱っている姿を人に見せたくない」と
いうもの。う~ん、分からないでもないけどそんなものなのかね~、と
思いはしたけれど何より本人の意思を最優先させなくてはならないし、
そのスタンスは徹底した。
だが義父のいうコトもごもっともだなと思い知らされるのに、さして
時間は掛からなかった。めんどくさい、非常ぉ~に、めんどくさくて
不愉快な思いを、関係者からイヤというほどさせられたのだ。
他言しなかったために、当然後になって義父の入院の事実を知った周囲
の関係者からエライ責められるわ、イヤミなコトをいわれるわでもう、
いい加減うんざりしたものだ。
そんな義父であったけど病院で迎えた臨終の床で家族が2人づつ会って
声を掛けた。もはや義父からの返答はないが、次男とあたくしが入室し
「長い間お世話になりました。コレからは家族みんな力を合わせて
生きていきます。」と伝えるコトはできた。家族全員が義父にお別れの
挨拶を告げ病院から自宅に戻って1時間ほど後に義父は息を引き取った。
2020年10月25日(日)午前11時08分、医師により死亡が確認された。
享年85歳。86歳の誕生日のちょうどひと月前であった。
小さなお葬式
お通夜と葬儀は義父の遺志によって、参列者は義姉家族とあたくしの
両親と子供たちという、ごくごく最小規模で執り行うものとした。
今はやりの所謂家族葬、「小さなお葬式」というものだ。
※24時間全国対応98000円~のお葬式【やさしいお葬式】
葬儀の終了後に献花を切り取って家族みんなで義父の棺に入れてお花で
埋め尽くした。そこに昔の義母と一緒の写真やその他もお棺に入れた。
家族のみの出棺って人数少ないからまぁなんともサクサクと進んだ。
コレが業界関係者も参列していたら参列者も多くなってエライ大変で
あっただろうと思う。火葬場に到着し、心残りは尽きぬままに義父の
お棺は火葬炉に送り込まれた。収骨まで2時間ほどの時間があって、
かなり長い待ち時間だ。お喋りしてるだけでは間が持たない。だけど
外は秋晴れのイイ天気。
火葬場の庭園は業者が綺麗に手入れしたばかり。そんな気持ちの良い庭園
の中次男と歩きながら話をした(長男と末っ子は持参したSwitchに没頭)
先に逝った義母と妻の話、義父と健康の話からこないだ健診を受けた
あたくしの今後のコトの話、次男の恋愛事情など青空の下で1時間ぐらい
話し込んでいたな。そんなこんなでロビーに戻って暫くたつと収骨が出来
る旨のアナウンスがあり、家族一同で収骨して義父のお骨は小さな骨壺に
収まった。お昼過ぎでみんなお腹が空いてたのでランチを食べて帰宅。
義父にとっては1年と3ヶ月ぶりの帰宅である。
※お別れ会のやり方、服装、司会、式次第、会場探しの相談「Story」
そしてみんなでわらわらと義父の部屋と仏壇のお掃除と整理をしていたら
引き出しから義父が引退後に四国霊場八十八か所巡りをした際の納経帳を
発見「あ”~!コレも一緒にお棺に入れてあげればよかった」と、激しく
後悔。なのでコレはいつの日かあたくしが旅路(人生)の終わりに有終の
美を飾るために、お遍路さんをやる時のために義父のお遍路グッズと
ともに、ありがたくもらっておこうかと思う(爆)。
義父の遺影とお骨その他お供え物などの準備を整えホッと一息。
長い1日だったと感じたけれど、いろんな思い出を振り返っていろんな
話をみんなで面白おかしく語って幾分悲しみが和らいだのは幸いだった。
波乱万丈で、晩年までも苦労の絶えない人生を送った義父。今ごろは義母
との再会を一緒に喜びあっているのだろうか?
出来の悪い娘婿で、生前義父に苦労の一端を背負わせたあたくしがいえた
義理ではないのだけれど…。
義父の心に永遠の平穏と静寂が訪れんことを、切に祈っている。
妻の父であり昨年8月より自宅近い病院に併設されている
住宅型有料老人ホームに入っていた義父が先日、義母と妻のいるところに
旅立ちました。
お通夜のための斎条で再会した義父は、眠るような安らかな表情を湛えて
いた。原因は肺の病気で癌ではなかったんだけど、昨年施設の運営元の
病院で撮影した胸部レントゲンに小さな影のようなものが見つかったが、
医師の診断では癌ではないとのこと。じゃぁいったいなんなのだと病名も
知らされなくてモヤモヤしていたものだが、分かっていたのは肺の組織が
高齢もあって石灰化したみたいに硬くなり弾力性が低下している。呼吸、
ガス交換という肺の担う重要な役割に支障が出るコトが懸念された。
ところがその後、小さい影だったはずの病巣が短期間の間にかなり大きく
広がっていて、義父もかなり辛そうな感じが分かった。義姉が亡くなる
1週間ほど前から病室に入っている義父に付きっ切りになったけど、親戚
関係にお見舞いに来てもらうコトを提案した義姉に、義父本人は頑なに
拒否していた。
義父は昔からそうだったんだけど、過去に胃潰瘍や肝臓がんで入院、手術
をしたコトがあるんだけど、その際もあたくし以外の家族にも他言をする
なとクギを刺していた。その心は「弱っている姿を人に見せたくない」と
いうもの。う~ん、分からないでもないけどそんなものなのかね~、と
思いはしたけれど何より本人の意思を最優先させなくてはならないし、
そのスタンスは徹底した。
だが義父のいうコトもごもっともだなと思い知らされるのに、さして
時間は掛からなかった。めんどくさい、非常ぉ~に、めんどくさくて
不愉快な思いを、関係者からイヤというほどさせられたのだ。
他言しなかったために、当然後になって義父の入院の事実を知った周囲
の関係者からエライ責められるわ、イヤミなコトをいわれるわでもう、
いい加減うんざりしたものだ。
そんな義父であったけど病院で迎えた臨終の床で家族が2人づつ会って
声を掛けた。もはや義父からの返答はないが、次男とあたくしが入室し
「長い間お世話になりました。コレからは家族みんな力を合わせて
生きていきます。」と伝えるコトはできた。家族全員が義父にお別れの
挨拶を告げ病院から自宅に戻って1時間ほど後に義父は息を引き取った。
2020年10月25日(日)午前11時08分、医師により死亡が確認された。
享年85歳。86歳の誕生日のちょうどひと月前であった。
小さなお葬式
お通夜と葬儀は義父の遺志によって、参列者は義姉家族とあたくしの
両親と子供たちという、ごくごく最小規模で執り行うものとした。
今はやりの所謂家族葬、「小さなお葬式」というものだ。
※24時間全国対応98000円~のお葬式【やさしいお葬式】
葬儀の終了後に献花を切り取って家族みんなで義父の棺に入れてお花で
埋め尽くした。そこに昔の義母と一緒の写真やその他もお棺に入れた。
家族のみの出棺って人数少ないからまぁなんともサクサクと進んだ。
コレが業界関係者も参列していたら参列者も多くなってエライ大変で
あっただろうと思う。火葬場に到着し、心残りは尽きぬままに義父の
お棺は火葬炉に送り込まれた。収骨まで2時間ほどの時間があって、
かなり長い待ち時間だ。お喋りしてるだけでは間が持たない。だけど
外は秋晴れのイイ天気。
火葬場の庭園は業者が綺麗に手入れしたばかり。そんな気持ちの良い庭園
の中次男と歩きながら話をした(長男と末っ子は持参したSwitchに没頭)
先に逝った義母と妻の話、義父と健康の話からこないだ健診を受けた
あたくしの今後のコトの話、次男の恋愛事情など青空の下で1時間ぐらい
話し込んでいたな。そんなこんなでロビーに戻って暫くたつと収骨が出来
る旨のアナウンスがあり、家族一同で収骨して義父のお骨は小さな骨壺に
収まった。お昼過ぎでみんなお腹が空いてたのでランチを食べて帰宅。
義父にとっては1年と3ヶ月ぶりの帰宅である。
※お別れ会のやり方、服装、司会、式次第、会場探しの相談「Story」
そしてみんなでわらわらと義父の部屋と仏壇のお掃除と整理をしていたら
引き出しから義父が引退後に四国霊場八十八か所巡りをした際の納経帳を
発見「あ”~!コレも一緒にお棺に入れてあげればよかった」と、激しく
後悔。なのでコレはいつの日かあたくしが旅路(人生)の終わりに有終の
美を飾るために、お遍路さんをやる時のために義父のお遍路グッズと
ともに、ありがたくもらっておこうかと思う(爆)。
義父の遺影とお骨その他お供え物などの準備を整えホッと一息。
長い1日だったと感じたけれど、いろんな思い出を振り返っていろんな
話をみんなで面白おかしく語って幾分悲しみが和らいだのは幸いだった。
波乱万丈で、晩年までも苦労の絶えない人生を送った義父。今ごろは義母
との再会を一緒に喜びあっているのだろうか?
出来の悪い娘婿で、生前義父に苦労の一端を背負わせたあたくしがいえた
義理ではないのだけれど…。
義父の心に永遠の平穏と静寂が訪れんことを、切に祈っている。
お義父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
by johncomeback (2020-10-29 05:35)
義父さまのご冥福を心より甥の英申し上げます。
by ニッキー (2020-10-29 07:36)
お義父様のご冥福をお祈り申し上げます。
さびしくなりますね・・・。
by Rinko (2020-10-29 07:50)
謹んで義父様のご冥福をお祈り申し上げます。
私も先月85歳となりました、元気に暮らせることに感謝をし
逝く日がそう遠くないことを自覚して、充実な日々を送って
生きていく喜びを味わう努力をしたいです。
by 侘び助 (2020-10-29 13:00)
この度、義父の逝去に際し、お悔やみのメッセージを頂き誠にありがとうございます。いつかは訪れる別れではありますが、いざ経験するとやはり辛いものではありますね。今は上で義母との再会を喜び合っているかと思います。
johncomebackさん、ニッキーさん、Rinkoさん、ありがとうございました。
侘び助さん、こんにちはご訪問、nice&お悔やみメッセージありがとうございます。義父はあと10年は生きてるだろうと思いましたが病気の進行が予想以上に早く、残念な思いです。健康がすべてですね。
by きーちゃん2 (2020-10-31 13:07)