信じれば、願いはかなう~その2~
前回の続き…。
自分を信じる。自分の人生を信頼する。人間は弱い存在だけど、信じる
ことのできる人は強い。
「信じる対象が本物であれ偽物であれ、効果は変わらない」という。
病に苦しむ信心深い人にその辺の道端で拾った棒っ切れを「コレは主
イエス様の願いが込められている聖地の杖で、この杖を傍らに置いて
お祈りを捧げれば病は治癒するであろう。でも借りてきたものだから、
後でちゃんと返してね。」
・・・そして、信心深いその人の病は完治したという。
信じる、っていうか妄信するってコトが、どれほどスゴいパワーを生み
出すものなのか、っていうのを、昔からヤブ医者と哲学者は特にそのコト
をよく知っているっていう事例である。
沖縄古宇利島の昔話
そして、信じるというコトの大切さを語る昔話をひとつご紹介しよう。
コレはね、沖縄島の名護市北部の沖合に浮かぶ島、古宇利島に伝わる昔話
で、沖縄版「アダムとイブ」といえるものだ。2005年2月、古宇利大橋の
開通により本島と陸続きとなり、青い海と白い砂浜、亜熱帯の木々の緑、
照りつける太陽と、風光明媚なこの島は恋人の聖地、パワースポット
として多くの人に知られるコトとなった。
※画像:snaplace.jpより引用
※画像:ハートロック パワースポット全国情報NET!より引用
☆昔々、古宇利島に天から男女2人の子供が降ってきた。
2人は裸で何の道具も使わず、狩りもしなかったが、なぜだか食べ物には
困らなかった。それは、2人のもとには天から毎日お餅が落ちてくるから
だった。2人は天から落ちてくるお餅を食べて、何年も幸せに暮らして
いた。しかし、成長するにつれ、2人は疑問を抱きはじめた。
「どうして天からお餅が降ってくるのだろう?」 もしもある日突然お餅
が降ってこなくなったら、飢え死にしてしまうかもしれない。2人は、
その日から念のためにお餅を食べ残して蓄えておくようになった。
すると、どうしたことか。2人がお餅を蓄え始めてすぐに、天からお餅が
降ってくることはなくなってしまった!途方に暮れた2人は
声を枯らして天に祈ったが、どれだけ祈ってもお餅は降ってこない。
仕方がないので2人は海に出て、貝や魚を獲って暮らすようになった。
自分たちの食べ物を自分で捕ることで、労働の苦しみや、生活の大変さ
を学んでいった。そんなある日、2人はたまたま海で交尾していたジュゴン
を目撃する。 なにも考えずに裸で暮らしていた2人は、そこで初めて
男女の違いに気づき、恥じらいを覚えた。2人は貝や葉を使って服を作り
大事な部分を隠した。ジュゴンが交尾して殖えることを知った2人は、
やがて子作りをして子孫を増やした。現在の沖縄に住んでいる人々は、
この2人の子孫であるといわれている。
・・・っていうハナシなんだけど、まぁ確かにね、自分の食い扶持稼ぐ
ために働くのは大切なコトだと思うんだけど、このハナシであたくしが
フォーカスしてるのはそこじゃない!このハナシ、読む人によって、
様々な解釈が成り立つであろうと思う。っていうか突っ込みどころ満載
っていうか、ねぇ。
自分を信じる。自分の人生を信頼する。人間は弱い存在だけど、信じる
ことのできる人は強い。
「信じる対象が本物であれ偽物であれ、効果は変わらない」という。
病に苦しむ信心深い人にその辺の道端で拾った棒っ切れを「コレは主
イエス様の願いが込められている聖地の杖で、この杖を傍らに置いて
お祈りを捧げれば病は治癒するであろう。でも借りてきたものだから、
後でちゃんと返してね。」
・・・そして、信心深いその人の病は完治したという。
信じる、っていうか妄信するってコトが、どれほどスゴいパワーを生み
出すものなのか、っていうのを、昔からヤブ医者と哲学者は特にそのコト
をよく知っているっていう事例である。
沖縄古宇利島の昔話
そして、信じるというコトの大切さを語る昔話をひとつご紹介しよう。
コレはね、沖縄島の名護市北部の沖合に浮かぶ島、古宇利島に伝わる昔話
で、沖縄版「アダムとイブ」といえるものだ。2005年2月、古宇利大橋の
開通により本島と陸続きとなり、青い海と白い砂浜、亜熱帯の木々の緑、
照りつける太陽と、風光明媚なこの島は恋人の聖地、パワースポット
として多くの人に知られるコトとなった。
※画像:snaplace.jpより引用
※画像:ハートロック パワースポット全国情報NET!より引用
☆昔々、古宇利島に天から男女2人の子供が降ってきた。
2人は裸で何の道具も使わず、狩りもしなかったが、なぜだか食べ物には
困らなかった。それは、2人のもとには天から毎日お餅が落ちてくるから
だった。2人は天から落ちてくるお餅を食べて、何年も幸せに暮らして
いた。しかし、成長するにつれ、2人は疑問を抱きはじめた。
「どうして天からお餅が降ってくるのだろう?」 もしもある日突然お餅
が降ってこなくなったら、飢え死にしてしまうかもしれない。2人は、
その日から念のためにお餅を食べ残して蓄えておくようになった。
すると、どうしたことか。2人がお餅を蓄え始めてすぐに、天からお餅が
降ってくることはなくなってしまった!途方に暮れた2人は
声を枯らして天に祈ったが、どれだけ祈ってもお餅は降ってこない。
仕方がないので2人は海に出て、貝や魚を獲って暮らすようになった。
自分たちの食べ物を自分で捕ることで、労働の苦しみや、生活の大変さ
を学んでいった。そんなある日、2人はたまたま海で交尾していたジュゴン
を目撃する。 なにも考えずに裸で暮らしていた2人は、そこで初めて
男女の違いに気づき、恥じらいを覚えた。2人は貝や葉を使って服を作り
大事な部分を隠した。ジュゴンが交尾して殖えることを知った2人は、
やがて子作りをして子孫を増やした。現在の沖縄に住んでいる人々は、
この2人の子孫であるといわれている。
・・・っていうハナシなんだけど、まぁ確かにね、自分の食い扶持稼ぐ
ために働くのは大切なコトだと思うんだけど、このハナシであたくしが
フォーカスしてるのはそこじゃない!このハナシ、読む人によって、
様々な解釈が成り立つであろうと思う。っていうか突っ込みどころ満載
っていうか、ねぇ。
もし男の子女の子の2人が何の疑念も抱かずに「毎日お餅が降ってくる」
コトを信じて疑わなかったとしたら、ガキの小賢しい悪知恵で、お餅の
食べ残しをストックしておくなどというコトもやらなかっただろうし、
そうであったなら天からお餅が降らなくなるコトはなく、
「なぜだか喰う(生活)には困らない」
状態でありつづけたのだろう。疑念を抱いた時点でアウトなのだ。
そして、ここで天はこーゆーのだ。
「あ、自分たちで何とかするんだな?お餅降らすのやめよ。」ってね。
あたくしは基本怠け者で周囲に依存するのが好きだ。なので、天から
降ってくるお餅を信じて食べ続けていたい(メガ爆)。
絶対そっちがイイと思うのだ。ところがね、勤勉で優秀な人ほど
「そんなコトあり得ん!常識考えろ!」って怒るワケ。勤勉で優秀な
人は自分なりの立派なルールブックを持っていて、それに従って行動
するけど、アタマ悪くて怠惰なあたくしも、「自分の」ルールブックに
則って行動している。「ナニその常識って、知らんな。あたくしには
こっちが常識なんだけど何か?」っていうカンジだ。
幸せも富も豊かさも人それぞれ定義は違うし、それらを獲得する手段も
違う。「追いかける」ものなのか、それとも「引き寄せる」ものなのか?
どちらが正しくて、どちらが間違っているというワケでもあるまいが、
みなさんは、どっちがイイ?