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愛だけが成し得るもの

運転に愛?

ある日のコト、あたくしの運転するクルマに初めて同乗した仕事仲間の

ドライバーさんに、やたらと「運転が上手いね~。」と褒められた。

「職業ドライバーだし当たり前でしょう。」と答えると、

「そうじゃなくって、加減速時とか路面からのショックが少なくて、

別のクルマみたい。」
ってコトを言っていた。

どうしてそんな運転が出来るのかと訊ねられたので、冗談半分本気半分

「ソレは愛です。」

っていうと「愛?その秘密教えて。」「いや、秘密ですから。」な~んて

やり取りをしていた。

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※暑くなったので、夏らしく涼し気な[バー]モスコーミュールを頂く[わーい(嬉しい顔)]



愛だけが成し得るもの

母親は、子供に無償の愛を与える。愛は物と違って与えても減らないし、

そこには見返りなど求めてはいない崇高さや優しさ、そして美しさが

ある。こちらが何かをやってあげたからといって、相手から見返りを期待

するのはギブアンドテイクの取引である。

人の心というのはまぁよくできたもので、自分の行動を振り返ってみても

、見返りを期待してる場合とそうでない場合があるので、その行動が愛で

あるのか、それとも単なる取引であるのかのバロメーターみたいな役割を

果たすので区別は容易である。

そしてその愛の生き証人みたいなのが、今は亡きあたくしの妻であった。

我が家には3人の悪さ坊主たちが居るんだけど、彼らの出産に際して妻は

必ず入院や手術(帝王切開。次男と末っ子ともに)がらみとなっていて、

入院中は病院のベッドの上で点滴の管やらコードやらでがんじがらめに

されて、動くのもままならない状態。我が身を削るような思いを

しながらそれでも「アタシたちの子に早く会いたい。」と、迷うコト

なく言い切った神レベルな彼女に対し、当時の恥ずかしながら

俗物レベルのあたくしの精神は理解が追い付かなかったコトを、今は

正直に告白しておく。彼女のこの無償の犠牲的行動は、子供たちへの

強い愛なくしては、とてもではないが実行出来うるものではなかった

と思う。

ヤマトより愛をこめて/by:沢田研二

生前の妻は、「紺屋の白袴」の諺を、地で行くような人でね、自分の

コトよりも周囲の人が困っていたら放っておけない性分。

ただね、人助けも善行も結構なんだけど、大抵は妻ひとりの行動では

完結せず、「まずは自分のコトが先でしょう!」って必死に抵抗する

あたくしが、最終的に彼女の善行や人助けを成し遂げるために何故か

犠牲を払わなくてはならないハメに陥るのには彼女が行動を起こす

たびに閉口した。そりゃあそうである。だって、困ってる人たちを

助ける行為を
、あたくしを困らせて実行するのだからね[むかっ(怒り)][むかっ(怒り)][むかっ(怒り)]

だけどこのコトで彼女を批難しつつも、周囲の人々の悲しみや

辛さをまるで自分のコトのように感じ取れる、およそあたくしには

ない感性を持ち合わせた妻を、心の奥底ではリスペクトしていたのも

また、否定できない事実であった。

STORY

非情の宣告

後年直腸がんが見つかって闘病生活を送った2年間妻は、癌の発見

当初こそ正月旅行に行ったり普段通りの生活をしていたものの、

入退院、投薬手術を繰り返し終末期には次第に身体も弱ってあちこち

に痛みを訴えるようになり、クルマでの移動の際も路面の不正を

拾って衝撃や振動が伝わるのさえも苦痛に感じるようであった。

そんな彼女をクルマで病院に送迎するあたくしは、運転に際しては

ハンドル操作、アクセルワーク、ブレーキングなど自分の持ちうる

あらん限りの感覚を総動員して加減速GやコーナリングG、路面の

凹凸などの衝撃を最小限にする運転操作を厳守した。そこには自分の

労苦に対するお礼を妻に言ってもらうためなどという思いは一片も

ない。ただひたすら、彼女の苦痛を少しでも和らげてあげたいという

思いがその当時のあたくしのすべてだった。コレが「愛」の運転

スキルのタネ明かしである。「運命の日」の2日前、病院で妻の

担当医に呼ばれ、義父、義姉も同席したところで担当医が静かに

告げた。「本人様、もう長くありません。ここで看取るコトになる

でしょう。」
と。全身から力が抜けて、もはや立っていられず床に

蹲って声をあげて泣いた。あたくしのあまりの醜態に見かねた義父と

義姉に支ええられて立たせてもらった。義父に言われてた覚悟も、

心の準備もしていたつもりだったのに。

2日後担当医の言葉通り、妻はあたくしと皆の見守る中、天国の

義母のもとに旅立っていった。


尽きることない想いを胸に

妻を看取った後も当時から培われたその運転スキルは職業ドライバー、

そしてお休みの日には彼女の父親である義父の通院の送迎にも活躍

している。義父も高齢のため通院も大変だけど、妻が存命していた

ならば、きっと彼女が義父そうにしてあげているであろうから。

妻の遺した愛と遺志は今も生きて、あたくしと子供たちを見守り、

そして導いてくれている。



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