幼き日の幻影
合格祈念焼肉パーチー^^
2月最終日の28日、我が家の次男、義姉家の姪っ子長女と大学の進学が
確定した。かねてより義父のスポンサードでみんなで焼肉パーチーを
やるって決まってたんだけど、姪っ子長女はケッコー前に合格決まってた
みたいだし、21,22日時点で次男の頭上にサクラが咲いたので、
あたくしも含めみんなの都合を合わせて28日と決定した。
会場は久留米で一番うまい(と思っている)焼肉屋さんだ。
※画像・焼肉の大昌園上津店
〒830-0054久留米市藤光町258-1 0942-21-0321
ココに訪れるのは実に3年半ぶりぐらいだろうか。末っ子が保育園の頃
だったからね。同時に妻の闘病生活中だったし、ホントに精神的にも
経済的にもそんなゆとりなかったってのが実情だ。
そんなひさしぶりのおご馳走だから、子供たちはみんなテンション
上がりっぱなし。スタート直後から大好きなお肉をバーッと注文し、
ゴハンまで食べだす長男と次男。ちなみに長男は中、次男は大ゴハンだ。
ゴハンを食べた方が勢いがつくのかどうか分からないけど「聖なる胃袋」
の次男の面目躍如である。
あたくしと義兄は焼肉とよく合う赤ワインを選んで焼肉はそれなりの
ペースでゆったりと愉しんでいた。美味しいものをたくさん食べて、
子供たちもイイ顔になった。途中不意に長男と次男の間に姪っ子長女が
割って入り3人ともデザートのアイスクリームを食べ始めたんだけど、
注文するものがDK,JK、毎日がエブリディの今も保育園児時代と全く
変わらないwww
(次男:バニラアイス、姪っ子長女:抹茶アイス、長男:葡萄アイス)
のが笑えたとともに、3人の幼いころの幻影がオーバーラップして感慨
深いものがあったよ。上の妻にもこの子たちの成長を見せてあげたいと、
心底思ったよ。いや、見守ってくれてるだろうね。
末っ子姪ちゃんが「この後カラオケ行きたい。」な~んてコト
言ってたけど、ウチが帰った後独自に行ったみたい。と、
長男が言っていた。なので、「しょうがないよ、パパが音痴だから、
聞かされた人はドン引きするからね。」って言ったら
「ウソつけこのクソ親父、パパが音痴じゃないコトぐらい知っとる。」
だっていう長男。そんなこんなで我が家は代行運転依頼して自宅に帰る。
子供が大きくなってから、そして妻の闘病生活に伴って、義姉家との
交流も滞りがちになっていた我が家であったけど、
あたくし的には妻を亡くしてしばらくは、とても人付き合いの出来る
状態じゃぁなかったから、ケッコー長い期間没交渉みたいなカンジだった
とはいえ、」精神的な?がりってのは今も健在だったようで一安心した。
この状況にも感謝しているが、そんな機会を作ってくれた義父には
心から感謝している。
2月最終日の28日、我が家の次男、義姉家の姪っ子長女と大学の進学が
確定した。かねてより義父のスポンサードでみんなで焼肉パーチーを
やるって決まってたんだけど、姪っ子長女はケッコー前に合格決まってた
みたいだし、21,22日時点で次男の頭上にサクラが咲いたので、
あたくしも含めみんなの都合を合わせて28日と決定した。
会場は久留米で一番うまい(と思っている)焼肉屋さんだ。
※画像・焼肉の大昌園上津店
〒830-0054久留米市藤光町258-1 0942-21-0321
ココに訪れるのは実に3年半ぶりぐらいだろうか。末っ子が保育園の頃
だったからね。同時に妻の闘病生活中だったし、ホントに精神的にも
経済的にもそんなゆとりなかったってのが実情だ。
そんなひさしぶりのおご馳走だから、子供たちはみんなテンション
上がりっぱなし。スタート直後から大好きなお肉をバーッと注文し、
ゴハンまで食べだす長男と次男。ちなみに長男は中、次男は大ゴハンだ。
ゴハンを食べた方が勢いがつくのかどうか分からないけど「聖なる胃袋」
の次男の面目躍如である。
あたくしと義兄は焼肉とよく合う赤ワインを選んで焼肉はそれなりの
ペースでゆったりと愉しんでいた。美味しいものをたくさん食べて、
子供たちもイイ顔になった。途中不意に長男と次男の間に姪っ子長女が
割って入り3人ともデザートのアイスクリームを食べ始めたんだけど、
注文するものがDK,JK、毎日がエブリディの今も保育園児時代と全く
変わらないwww
(次男:バニラアイス、姪っ子長女:抹茶アイス、長男:葡萄アイス)
のが笑えたとともに、3人の幼いころの幻影がオーバーラップして感慨
深いものがあったよ。上の妻にもこの子たちの成長を見せてあげたいと、
心底思ったよ。いや、見守ってくれてるだろうね。
末っ子姪ちゃんが「この後カラオケ行きたい。」な~んてコト
言ってたけど、ウチが帰った後独自に行ったみたい。と、
長男が言っていた。なので、「しょうがないよ、パパが音痴だから、
聞かされた人はドン引きするからね。」って言ったら
「ウソつけこのクソ親父、パパが音痴じゃないコトぐらい知っとる。」
だっていう長男。そんなこんなで我が家は代行運転依頼して自宅に帰る。
子供が大きくなってから、そして妻の闘病生活に伴って、義姉家との
交流も滞りがちになっていた我が家であったけど、
あたくし的には妻を亡くしてしばらくは、とても人付き合いの出来る
状態じゃぁなかったから、ケッコー長い期間没交渉みたいなカンジだった
とはいえ、」精神的な?がりってのは今も健在だったようで一安心した。
この状況にも感謝しているが、そんな機会を作ってくれた義父には
心から感謝している。