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これまでのわたし、これからのわたし~最終回~

前述のタイトルで、わが家の末っ子が、ガッコの授業に提出せねば

ならない課題があった。

①生まれた時

②1~2歳の頃

③3~5歳の頃

④1年生の頃

という4つの各ステージで、当時の状況を書かなくてはならないん

だけど、なにしろ平穏無事などという言葉とは対極にある末っ子の

誕生~小1までの歩みである。



♪グリンカ:ノクターン「別れ」

親の立場としては、思い出したくない、忘れてしまいたい…。

或いは医師の診断結果を聞いて、腰が抜けそうなショックを受けたりと、

忌まわしい思い出もたくさんあるワケで、「書くべきか」どうか葛藤

したり、当時の辛い思いが蘇ってきてムカついたりしながらも、

小ガッコの課題ゆえに、読んだ人がギョッとするようなどぎつい

エピソードは、書くのを差し控えた。 何とか①~③までは書いたものを

末っ子に渡し、来週連休明けには④を提出するコトになっている。文章と

共に写真も添付するコトになっているが、写真を見ながら選んでいる時、

まだ元気なころの妻と末っ子が楽しそうに遊園地の乗り物に乗っている

写真を見つけて、「あれほど無駄に元気だった妻が…。」と、在りし日の

彼女の写真を見ていると涙が止まらなくなる。

とりあえずは、過激なハナシは避けて書き上げた。 生前の妻は、

闘病生活を送りながらも、身体的、知能的に発達の遅れのある末っ子の

将来を心配しつつも彼の成長を見守るコトが叶わぬと分かった時は、

さぞかし無念であったろうかと思う。だけどコレだけは書かなくちゃ

いけないだろうね。



早産のため将来的に発達障害などの懸念もあってハンデを背負った上に

小学1年生で母親までも失うなんて、末っ子にとってはあまりにも過酷な

人生経験であろうかと思うしね。誕生時、保育器に入った彼と初めて

対面したときに流した涙は嬉し涙ではない、半死半生で1gkにも満たず、

生まれてきた末っ子の姿があまりにも不憫に感じて思わず流した

涙であった。 とにかくこの時分は、妻もそうだけどあたくし、そして

家族に次々に降りかかる災厄に自分と家族の置かれた境遇を心底呪い、

腐りまくっていた。今でこそ末っ子に対しては

「生まれて来てくれてありがとう。」って言えるのだけど、当時は

「何でウチがこんな目に遭わなくてはならないのか!?」と、もう

自暴自棄寸前であったよ。たとえどんな辛い試練であったとしても、

「神様はその人が乗り越えられない試練は与えない」というが、

やっとのことで今は、どうにかこうにか乗り越えるコトは出来た。

PCに向かっているあたくしの背後では、末っ子と長男が無垢な笑顔で

ゲームに興じている。この子供たちの笑顔は、あたくしにとっては

何よりの宝である。これからも家族みんなで明日を信じて

希望を持って生きて行かなくてはね。


~おわり~



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