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あたし、居ないかもよ

 今日は朝の妻のLINEにまた慄然とした。

「帰りたい。」 「もう病院に居たくない。」 「迎えに来て。」 「会社休んでずっとそばにいて。」

「一人はいや。」 「なんとか言ってよ。」、と立て続けに

私、「君は一人じゃないよ、あたくしがいつもそばにいる。」というと、

「じゃ来て。」 「ホラ!うそばっかり。」 

私、「心はいつも君の傍にいる。」

「そんなこと言ってるんじゃない、バカ!」

私、「あたくしとて、ずっと君を抱きしめていたい。休んで来るから!」

「うそつき。」 「もうイヤだ。」 「イヤ。」 「いや。」 「帰りたい。」 「迎えに来て。」

「早く。」 「来てよ。」 「パパ。」 「早く。」 「待ってるけん、早く来てよ。」 「ここに居たくない。」

「早く来て。」 「すぐ。」 「無視せんでよ。」 「来ると、来ないと?」 「返事してよ。」 「パパ。」

「昼来ても、あたし居ないかもよ。」

矢継ぎ早のLINEのメッセージにたまらず、業務引継ぎ中の同僚に電話。

直属の上司にも事情を話し、お昼に出社することに

病院に向かう。朝の七時台である。病室に着くと、驚く妻の顔。

「休んだと?仕事は?」意外な顔をする妻。

「当たり前やろ、君が最優先だからね。」

癌と言う病気は、否が応でも死を意識せざるを得ない。

彼女といつまで一緒に居られるのか。それは誰にも分からない。

5年生存率なんて言葉もあるが、まぁそんなのはアテにならない。

それより早く死ぬ人もいれば、5年が過ぎてもピンシャンしてる人もいるからね。

ただ、その時が来て、「もっと話がしたかった。」 「もっとしっかり抱きしめていたかった。」

などと、後悔の念に苛まれるのだけは、死んでも嫌だと思っている。

思い起こせばおばあちゃん子の私は、18年前、共稼ぎの両親に代わり私を育ててくれた

大好きな祖母が仕事に打ち込んでいる最中に

亡くなったと報せを受けたのが強烈なトラウマとなっていて、

「もう二度と愛する人の死に目に遭えないなど、まっぴらゴメンだ!」と思っている。

そのために仕事を放りだすなど、人に迷惑をかけることに躊躇しない人になった。

話をもとに戻そう。

妻の容体は徐々に良くなりつつあり、食事も三分粥を食べられるようになった。

しかし入院が長引いているため、彼女は精神面の方が

ダメージを受けている。

長い長いトンネルに入って、出口の光が見えてこない不安な状態

とでも表現したらよいのだろうか?

人間って、放っておくと、悪いことばかり考えてしまうもので、

御多分に漏れず妻も、「いいことなんて何もない。」とか

「この状況が死ぬまで続く!」なんて言っているが、そんなことは絶対にない!

幸福な人がいつまでも幸福でいられないのと同じように、

不幸な人も、いつまでも不幸ではいることなどないからだ。

そしてお昼、迎えに来てくれた同僚と仕事に戻り、業務終了後、妻の病院に送ってくれた。(謝謝)

妻は朝とは打って変わって、落ち着いた状態だった。

面会終了時間に、妻にハグ&チューをして帰宅する。

妻の職場の同僚は「ラブラブよね~。」と冷やかすが、

ひとつ言えることは、癌と言う病気が私たち夫婦をラブラブにしてくれたといっても過言ではない。

運命の女神が私たちの前途を祝福してくれることを祈る


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