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義母の十回忌に想うこと

今月上旬に、

義母が天寿を全うして十年が経過した…。

え~もうそんなに経ったのか~と、不思議な気持ちである。

終末期に差し掛かると、入退院を繰り返し、私を別の名前で

呼んだりした…。いまから10年前の6月上旬、入院先の

病院から、義母の容態が急変したとの連絡。

家族みんな弾かれるように病院に駆け付けた。

事態を察した孫たちはみんな大泣き。家族の到着後、

十数分経過した時、脈拍を示すグラフの線がまっすぐに…。

義父が義母の手を握って語り掛ける。

「よう頑張ったね、お疲れさん…。」享年70歳、義母が天に

旅立っていった。みんなが悲しみに沈んでいたその時、

私は安堵と充足感に包まれていた。何故かって?

それには理由がある。私が義父と義母の後押しで

独立して自分の店を出して、仕事を始めたのだけど、

創業当初は殺人的スケジュールで、家に帰るコトはおろか、

帰って晩ご飯を食べるのが夜9時10時だった。

自宅に同居してた祖母

(ちなみに私はおばあちゃん子である)に顔を見せに

帰ることも出来なかったワケ。そんな折、祖母が外出中、

転倒し脚を骨折して入院。手術も無事終わって

帰宅したものの、杖なしでは歩けない状態。

で、あるにもかかわらず、杖を使用せずに何度も転倒し、

打ち所が悪かったのか、病院に逆戻り。

意識が戻らないまま、私の業務終了時間直前に、

父からのデンワで祖母が亡くなった連絡を受けた…。

その時私は激しい後悔の念に打ちのめされた。

「何故、最期の時にそばに居られなかったのか!と。」

いつも、一緒に居るのが当たり前で私の前からいなくなる

コトなんて考えもしてなかった。そんな祖母の死に目に

会えなかったという経験が今も強烈に焼き付いている。

そのためだろう、義母の最期を見届ける事が出来た故の

充足感だったのだろうとね。義母は生前私にいろんなものを

遺してくれた。美味しい食べ物、

関連記事:義母の想い出のメニュー

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2015-12-06

人付き合いの大切さなど学ぶところは多かった。

我が家では、義母の存在を知らないのは、

末っ子のみである。私が、義母と出会ったのは、

義父の経営している新聞販売店に、

面接のデンワをかけたのが、始まりだった…。

「すいません…。お店の場所はどちらでしょうか?」

と訊くと、なんとウチから徒歩2分のところ。

面接で義父に、「過酷な労働だけど出来ますか?」

と言う質問に、「はい、やらせてください。」な~んてコト

軽る~くいってしまったもんだから、そこから31年間、

ず~っと付き合っていくコトになったワケである(笑)。

でもおかげでいろんな恩恵を被るコトができた(笑)。

長男の小学校時代の作文を見て驚いた。

「亡くなっても、僕の心の中でずっと

生き続けているおばあちゃん…。」~んて

書かれていて、思わずうるうるしてしまった…。

長男の言う通り、義母は私たちの心の中で

生きつづけている。在りし日の元気な姿と

楽しかった思い出と共にね。 

それにしても、私がこの世を去ったあと、

どのように私の人間像が語られるのだろうか…。

まぁそれを当の私が知るすべはないのだけれど…。

※関連記事:台風一過の夜、義父と飲み明かす

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2016-10-06


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