妻(きみ)の居ない地球で…
妻が天国へ旅立って今日で1週間…。
最初こそ、彼女がこの世を去った事実を
認めたくなくって、必死に抵抗していた私も、
日を追うごとに彼女の死の衝撃が、
ボディーブローだか、サソリの毒みたいに
襲ってきた。身体にチカラが入らない…。
虚脱感と脱力感のダブルパンチである。
おまけに次男はお通夜とお葬式の前日に、
祭礼センターに泊まった際に、トイレで
「Y介~。(次男の名前)」って、かあちゃんの
声が聞こえたって、ホラー話をするし…。
そんなワケで、忌引き休の一週間は業務上の
支障等あるかと思うが、あえて何もせずに
(デンワは掛かってくるんだけど)過ごすコトに
した。ともすれば「何で自分だけこんな目に…。」
なんてコトを思いがちになるけど、私のブログに
ご訪問頂いたブロガーさんから多数のコメントを
頂いた内容には、私と同じような体験をされてた方も
多くおられた。その方たちも、肉親や配偶者との
死別を乗り越えてこられている。私にもいつか、
そんな日が来るものかと希望が持てた…。
コメ頂いた皆様には、厚く御礼申し上げます。
次にあたくしが取った行動は、実家の押し入れの
中から大量に取り出した古い昔のアルバム。
その中には妻の幼いころから、私と結婚する直前
までの彼女の姿が多数写真に収められていた…。
それらを片っ端から見て行った。小、中学校時代、
「あれ、あたくしと同じ中学?妻は4コ下なので
分からなかったな…。」彼女が16(高2)の時に私が
義父の経営するお店で働き始めたので、結構
あたくしの写真も何故か写っていた。
まぁその当時まさか、この人が後にあたくしの
奥さんになる人だとは、微塵も思って
いなかったんだけどね(笑)。う~ん、彼女、
学生時代から結構いろんなところに
行ってたんだね…。奈良公園(鹿が写っている)や
琵琶湖大橋、金閣寺など、大学時代の写真になると、
葬儀にも参列してくれた仲良しのお二人と宮島での
3ショットなんてのもあった。ロープウェーで
弥山(みせん)にも昇っている、瀬戸内海と獅子岩を
バックに写ったショットもあった。今、コレを書いてる
私の後ろで、わが家の末っ子、またもやかあちゃんの
居ない寂しさがぶり返したのだろう、お布団に入ると
「ううぅ~っ。」と、涙目になっていた。すかさずあたくし
葬儀の際に、妻の友人さんから貰った妻の
指宿旅行の写真を渡し(池田湖のイッシーもいる)
「ホラ、かあちゃん!コレば持って寝らんの!」と、
いって寝かせた。七歳…。まだまだ母親が必要な
年頃だっていうのに…。こんな過酷な体験を
させてしまったが、この体験が必ずや後の人生の
糧となってくれるコトを願っている。眠りに就いた
末っ子のそばで、
「いちばん泣きたいのはパパなんだけど…。
かあちゃんの居ない地球なんて…。」って
小声で言ってしまったけどね(涙)。ココで妻に
ひとこと文句を言いたくなった。アルバムをずっと
見ていて、友人さんと写っている妻の笑顔は実に
輝いていた…。しか~し!結婚後、あたくしが
彼女を撮影しようとカメラを向けると逃げたり、
あさっての方を向いたりして撮らせなかった…。
そんなワケで、あたくしが撮影した写真に、妻が
マトモに写っているものは皆無に等しい。
「君、酷すぎるぞ…。」