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傷心の一人旅…紅葉見に行こう

こ、コレはなんね~!!


私と子供たちの居る、義父の実家の玄関で、

訊ねてきた私の母が思わず発した言葉である。

私の飲んだ缶チューハイや、缶ハイボール、

はたまたワインやスパークリングの空き缶空き瓶が、

ポリバケツからあふれ出し、玄関は足の踏み場も

ない状況…。呆れたように母は言った。

「気持ちは分らんでもないけど、飲みすぎて

身体コワさんごとせにゃいかんばい!」

実はその数日前、義父からもおんなじことを

言われていたあたくしであった。

「アンタの気持ちも分からんでもないけど…。」

ど~も母も義父も、妻を亡くしたショックで、私が

自暴自棄になって、ヤケ酒してるものと思っている

模様…。確かに自暴自棄になってるコトについては、

100パーセント否定は出来ないけど、あたくしは

ヤケ酒なんかしないタチである。

「好きだから飲んでいる。」

ただそれだけである。夕方から大雨となった。

おまけにカミナリさんまでゴロゴロと鳴っている。

これから一雨ごとに秋も深まっていくコトだろうね。

深まりゆく秋といえば、

「紅葉」である。

せっかくだからこんなシーズンは、

秋ならではの風情を愉しむために、そして

痛手を負った心を癒しに一人旅でも…。もしくは

末っ子でも一緒に連れて行こうか。いやいや

やっぱし一人がいいか…。この際徹底的に孤独を

味わい尽くしてみたいね…。

な~んていろんなコトを考えている(笑)。

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※画像asoview-news.comより引用

赤く染まった山々から紅葉の赤が紙に描いた

水彩絵の具の如く、滴り落ちるような情景を

思い浮かべてしまうね。

071_2.jpg 

帝釈峡。※画像hiroshima-welcome.jpより引用

では、目指すデスティネーション(行き先)は

ドコか?そぉだね…。やはり中国地方の紅葉の

名所、ってコトになるかと思うけど、山口県の

岩国・長門峡・広島県の宮島・三段峡・帝釈峡・

岡山県の後楽園・旧閑谷学校・蒜山高原・

津山城(鶴山公園)・井倉峡など、

選り取り見取りある…。

宮島や、岡山の後楽園なんかは、以前記事に

書いた、来年春にデビューする

「トワイライトエクスプレス瑞風」スイート車両に

乗ったと想定した、私の「トンデモ作り話」(笑)で

ご紹介したけれど、今日は中国山地のど真ん中

にある、広島県庄原市東城町帝釈未渡の

「帝釈峡」をご紹介しよう。広島県の代表的な

景勝地「帝釈峡」は、緑成す森の中に、巨岩や

鍾乳洞、急流などのダイナミックな自然美が

見られる、国内でも有数の峡谷。また紅葉狩りの

名所として知られる神竜湖の幻想的かつ神秘的な

佇まいも見逃せない…。

次回はその魅力をお伝えしますね。

次回につづく…。

関連記事: 「ななつ星」に続け!JR西日本の豪華寝台特急 その5

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2016-08-20

傷心の一人旅…紅葉見に行こう~帝釈峡~

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2016-10-0

傷心の一人旅…紅葉見に行こう~長門峡~

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2016-09-28

傷心の一人旅…紅葉見に行こう~岩国・錦帯橋~

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2016-10-09


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妻(きみ)の居ない地球で…

妻が天国へ旅立って今日で1週間…。

最初こそ、彼女がこの世を去った事実を

認めたくなくって、必死に抵抗していた私も、

日を追うごとに彼女の死の衝撃が、

ボディーブローだか、サソリの毒みたいに

襲ってきた。身体にチカラが入らない…。

虚脱感と脱力感のダブルパンチである。

おまけに次男はお通夜とお葬式の前日に、

祭礼センターに泊まった際に、トイレで

「Y介~。(次男の名前)」って、かあちゃんの

声が聞こえたって、ホラー話をするし…。

そんなワケで、忌引き休の一週間は業務上の

支障等あるかと思うが、あえて何もせずに

(デンワは掛かってくるんだけど)過ごすコトに

した。ともすれば「何で自分だけこんな目に…。」

なんてコトを思いがちになるけど、私のブログに

ご訪問頂いたブロガーさんから多数のコメントを

頂いた内容には、私と同じような体験をされてた方も

多くおられた。その方たちも、肉親や配偶者との

死別を乗り越えてこられている。私にもいつか、

そんな日が来るものかと希望が持てた…。

コメ頂いた皆様には、厚く御礼申し上げます。

 
 

次にあたくしが取った行動は、実家の押し入れの

中から大量に取り出した古い昔のアルバム。

その中には妻の幼いころから、私と結婚する直前

までの彼女の姿が多数写真に収められていた…。

それらを片っ端から見て行った。小、中学校時代、

「あれ、あたくしと同じ中学?妻は4コ下なので

分からなかったな…。」彼女が16(高2)の時に私が

義父の経営するお店で働き始めたので、結構

あたくしの写真も何故か写っていた。

まぁその当時まさか、この人が後にあたくしの

奥さんになる人だとは、微塵も思って

いなかったんだけどね(笑)。う~ん、彼女、

学生時代から結構いろんなところに

行ってたんだね…。奈良公園(鹿が写っている)

琵琶湖大橋、金閣寺など、大学時代の写真になると、

葬儀にも参列してくれた仲良しのお二人と宮島での

3ショットなんてのもあった。ロープウェーで

弥山(みせん)にも昇っている、瀬戸内海と獅子岩を

バックに写ったショットもあった。今、コレを書いてる

私の後ろで、わが家の末っ子、またもやかあちゃんの

居ない寂しさがぶり返したのだろう、お布団に入ると

「ううぅ~っ。」と、涙目になっていた。すかさずあたくし

葬儀の際に、妻の友人さんから貰った妻の

指宿旅行の写真を渡し(池田湖のイッシーもいる)

「ホラ、かあちゃん!コレば持って寝らんの!」と、

いって寝かせた。七歳…。まだまだ母親が必要な

年頃だっていうのに…。こんな過酷な体験を

させてしまったが、この体験が必ずや後の人生の

糧となってくれるコトを願っている。眠りに就いた

末っ子のそばで、

「いちばん泣きたいのはパパなんだけど…。

かあちゃんの居ない地球なんて…。」って

小声で言ってしまったけどね(涙)。ココで妻に

ひとこと文句を言いたくなった。アルバムをずっと

見ていて、友人さんと写っている妻の笑顔は実に

輝いていた…。しか~し!結婚後、あたくしが

彼女を撮影しようとカメラを向けると逃げたり、

あさっての方を向いたりして撮らせなかった…。

そんなワケで、あたくしが撮影した写真に、妻が

マトモに写っているものは皆無に等しい。

「君、酷すぎるぞ…。」


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「月の土地」のプレゼント?愛ちゃん、結婚報告で明かす

嗚呼…。愛ちゃんが
ついに人妻に!



今夏リオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得した

福原愛さん(27)=ANA=が20日、東京都内の

ホテルで記者会見を行い、リオ五輪台湾代表の

江宏傑(ジャンホンジェ)さん(27)と9月1日に

結婚したコトを発表した。?随分とタイムラグが

あるけど気にはすまい…。リオデジャネイロ五輪の

後にパラリンピックがあり、報告が遅れてしまった

と、いうコトなので…。そして後日22日、

台湾・台北市内のホテルでも会見し、改めて

結婚を報告した。会見はすべて中国語(北京語?)

で行われたが、愛ちゃんは、「妻になるのは初めて

(当たり前やろ!)なので、至らないところも多いと

思うけど、少しづつ学んでいきたい。」と、流暢に

話した。東京での会見では華やかな着物姿を

披露したが、この日台湾では白と黒のシックな

ワンピース姿。おまけに「愛ちゃん好き」

あたくしにとっては、幸せオーラが噴出しまくって

いる愛ちゃんの笑顔は、一層カワイクって

魅力的であった。そんなワケで今や人妻に

なってしまった、愛しの愛ちゃんに贈る言葉、

「さらば愛ちゃん、幸せになりな…。絶対離婚

するなよ、死が二人を分かつまでは…。」

ココで話は変わるけど、旦那さんの江宏傑氏は

印象的な出来事を聞かれ、愛ちゃんから

クリスマスに「月の土地」をプレゼントされたコトを

明かした。愛ちゃんも

「私も購入し、月の上では隣同士。」と惚気た。


で、愛ちゃんが月のドコの土地を買ったのかは

定かではないけど、おそらく「晴れの海」では

なかろうか?間違っても「嵐の大洋」なんか、

買うハズないと思うけど(笑)…。

img_0 (2).jpg 

※画像blogs.yahoo.co.jpより引用

だけどそもそも「月の土地」って購入出来るの?

っていう疑問がわき上がるのだけど…。

「出来るんですよ、実は。」それもかなり以前から。

現在第三期分譲中(笑・なんじゃそりゃぁ~!)

なんだとか。月は、”宇宙協定”(1967年発効)

によって、世界のどの国の、どんな政府も所有する

 コトが出来ない!っていうタテマエに

なってるんだけど、実は個人での所有については、

特に規定されていないんだそうで…。そこで、

月の土地を取得すれば販売できるのではないかと

考えたデニス・ホープ氏

(現ルナエンバシー・アメリカ本社CEO)は1980年、

サンフランシスコで月の所有権の申し立てを

したところ、この申し立てが受理されたってワケ。

さらに月の権利宣言書を作成し、国際連合、

アメリカ合衆国およびソビエト連邦(当時)の

各政府に提出したところ、宣言書に対する異議が

なかったコト。これらのコトを受けてデニス・ホープ氏は、

ルナ・エンバシーを設立し、上記の根拠、経緯により

現在では地球外不動産として「月の土地」の販売を

開始した。現在カナダ・イギリス・フランス・ドイツ・日本

など、15か国・地域に代理店を置き、

全世界で175か国、約200万人の「月の土地」

権利者が登録しているという。日本代理店に当たる

ルナエンバシージャパンで、月の土地を購入したり、

プレゼントをする場合は、公式サイトからの

申し込み・購入手続きをすることになります。

それにしても、大気も水もない月面の土地を

(日本円で¥2,700也)買ってどぉするのだい?

ってツッコミを入れたくなるんだけど、宇宙…。

「旅する男の胸にはロマンのかけらが欲しいのさ~」

っていうワケで、「夢とロマン」を買うって

コトのなのかな? 

♪真っ赤なスカーフ/byささきいさお

※関連記事:卓球の愛ちゃん、ジャンホンジェンとの交際を文春が報じる

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2016-04-08




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天国にいった、かあちゃん…

お化粧をして、納棺された妻の顔は、

ホントにいまにも目を覚まして起き出しそうな

カンジだったのである。多分私が

「コレは悪い夢を見ているのだ、早く目を

覚まさなければ」と、妻がこの世を去ったという

目の前の現実を認めたくなくて、抵抗していたから

かもしれない。早朝の仕事は勤務先のスタッフ、

直属の上司がフォローしてくれた。いくら忌引き休

とはいえ、業務に支障をきたすのは如何なものかと

思い、早朝業務だけでも出るからと、社長に伝えるが、

それはしなくて良いと、止められたので、お言葉に

甘えるコトにした。



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葬儀の日、午前中に葬儀社の

スタッフが到着し、打ち合わせを開始。遺影の写真も

出来上がってきたんだけど、コレについては妻は

私との結婚後、彼女との想い出写真を撮ろうと

何度もカメラを向けるものの、反対向いたり、

あさっての方を向いたりして、マトモな写真がほとんど

ないのである。かといって妻、私との結婚前の

アルバムは、高校生、大学生時代のものだから、

現在のルックスとは違いすぎる…。そんなことを

思っていたら、葬儀に参列してくれた妻の大学時代の

お友達。お葬式が終わった後、私にいい写真が

あったからと提供してくれたのだ。その写真を

受け取った後、いよいよ出棺となるのだが、その時の

親戚一同の泣きくれた様と言ったら、まぁスゴイもの

だった。だけど、それだけ妻のことを思ってくれて

いたのだねって思ったらあたくしも思わず

もらい泣きしてしまった。いよいよ出棺。

霊柩車のクラクションが高らかに鳴る。


♪ショパン/「幻想即興曲」 羽田健太郎


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出棺の後、
火葬場に到着。みんなの

見送る中、人の姿をした妻が火葬の炉に入っていった。

お菓子やお飲み物を頂きながら待つコト2時間弱、

収骨できるとのアナウンスがあった。みんなで

骨と化した妻の遺骨を収骨するのだが、我が家の

末っ子、「イヤ、骨怖い…。」なんて言ってたけど、

義兄が「誰でも最後はこうなるんだから、

ちゃんと見いてなさい…。」といってお箸を持たせて

収骨をさせた。7歳の末っ子にとっては、実に

過酷な体験である。骨壺に収まり小さくなった母親

と共に、一同は斎場に戻った。その後葬儀場が

用意してくれた花束を持ち帰り解散…。帰りしなに

調達したコンビニ弁当を食べながら、在りし日の妻の

想い出が去来する。長い1日だったが、さすがに家族の

みんなが疲れを隠せない様子。いろんなコトは明日に

しようとみんな床に就く…。ふと気付くと、いつもは

長男や次男と一緒に寝ていて、私の所にはめったに

来ない末っ子が、私の布団に潜り込んできた。

「末っ子ちゃん、どげんしたとの?」と訊くと、

「かあちゃんが天国に

行っちゃった…寂しい。」 

godbeams-tintagel-01.jpg 
※画像nomadphotographs.photoshelter.comより引用


この日(葬儀の終わった夜)

7歳の、わが家の末っ子の、

涙ながらの言葉は、あたくしの止まりかけた涙を

またもや呼び戻した。お通夜の時、半年分の

涙を流した…。なんて思ってたのだが、件の末っ子の

言葉でまたもや私の目から滂沱と流れる涙。

必死で涙を抑えながら今日友人さんからもらった

妻の写真を渡し、「コレ持ってから寝らんの!」

言って寝かせた。親友さんとの鹿児島の

指宿温泉旅行の写真、そこには

楽しそうな妻の笑顔が映っていた…。


※関連記事:心の準備

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心の準備 その2

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心の準備 その3

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心の準備 その4

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心の準備 その4

病院で、妻を看取ったあと、悲しみに打ちひしがれる

一同だけど、みんな感傷に浸っているヒマはない…。

看護師さんが妻の亡骸から身体がんじがらめに

していた管をすべて抜き取り、きれいにふき取って、

彼女を看取ってくれた子供たちも、妻にお化粧を

施した。幼いとはいえ女の子はお化粧をするのは

上手いね~。

私の携帯に葬儀社からの連絡がはいる。


一時間弱で到着するとのコト。病院から

「死亡診断書」を頂くが、コレは葬儀社の方に渡す

必要があるとのコトであった。50分程待っていると、

18時前に葬儀社のスタッフが到着。きれいになった

妻の遺体を純白の布で覆ってストレッチャーに移し、

丁重に運び出した。病院スタッフ&患者専用の

エレベーターに乗り、病院の裏口にある出口から

葬儀社のクルマにひっそりと運び込まれた。

主治医の先生の宣告通り、生きて通常の出入り口

から病院を出るコトはなかった妻だった…。

彼女の運び込まれた葬儀場は、幸い(?)自宅から

歩いて数分の場所。そこで葬儀場の奥の部屋に

遺体を移して安置する。入院中の苦痛に歪む

表情は、もののみごとに消えていた。

まるで眠っているように安らかな表情だった …。

我が家の祖母がお世話になっているお寺に

デンワして、来ていただき、枕務めをしていただく。

その後葬儀社との打合せで18日お通夜、

19日お葬式と日程が決まる…。 私の両親と義父、

義姉夫婦とで葬儀社との打合せが終わると、

葬儀社の施設には私と子供たちが残った。

私は妻の亡骸の前で一杯。生前は何かと私の

酒量が多いだとか言われてうっとおしかったが、

彼女の亡き今、もう二度と言われるコトは無い。

適当に飲んで眠りに就く…。翌朝午前中の時間を

利用して、夕方行うお通夜の打ち合わせ。

その後納棺を行う 「納棺師」さんが到着し、妻に

衣装の着替えと、お化粧を施す。「おお~ぅ!」今にも

彼女が起き出して来そうな顔色ではないか!

こんな彼女の顔色を見て、わが家の末っ子、

「かあちゃん、大丈夫?死んでると?」などと

いっている(苦笑)。そんな末っ子に私は言った。

「かあちゃんは生きているよ、末っ子ちゃんの

心のなかに、ず~っとね。」

STORY



通夜の時間も終了して、

しばらくのあいだは、まだ、ぽつりぽつりと、

参列される方が訪れていた。昔確執のあった親戚で、

妻が会うのを頑なに拒否していた家族も

参列してくれた。コレについては、妻の生前、

彼女に私は何度も話して説得を試みたが、

遂に承諾を得るコトはかなわなかった…。義父も、

「本人があれほど嫌がっているからやめとけ。」

って、止められるし。私的には彼女には、遺恨を

残して旅立って欲しくなかったのである。 だけど

私のそんな願いは叶うコトはなかったけどね。

通夜が終わって、妻の棺を部屋に戻してもらったあと、

私は傍にお布団も敷き、そこで寝るコトにした。

改めて眠る妻の顔を覗いてみる。

ホントに起き出しそうな顔をしていた…。


 

 

※関連記事:心の準備

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心の準備 その2

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心の準備 その3

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天国に行った、かあちゃん

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心の準備 その3

妻に、「運命の時」が、

刻々と近づいて来ている…。

昨夜義姉家族が泊まってくれて、

代わる代わる妻の様子を

見てくれていた。妻は義姉の

子供たちにとても慕われて

いたからね…。 

私と長男は、夜帰宅

したけれど、すぐに看護師さんから

電話で呼び戻された。今夜はいつも

寝る時の、薬は使用しなかった。

なので、夜通し彼女は目を開けたり

眠ったように目を閉じたりしていた。


 

私はお昼前に、看護師さんから

呼ばれ「最期の時」に、呼んで

おきたい方は皆さん病室にいて

おいてくださいと、伝えられた。

「最期の時」がもはやいつか

分からないから、そばに居て

くださいとね。そうはいっても

あたくしは代わりのいない仕事が

あるので、2時間弱だけど、家族の

みんながいてくれるコトだし、

敢えて出てきた。私は妻がその間、

持ちこたえてくれるって信じて、

急いで仕事を終わらせ、病院に向かう。

私のデンワに義姉からの不在着信。

すぐに折り返しデンワ。義姉の口調が

不穏な雰囲気を感じた私は、急いで

病室に戻る。視界に飛び込んで

来たのは、まさに臨終間際の妻!

義姉が涙でぐしゃぐしゃになり

「かあちゃん、きーちゃん2さん

来てくれたよ!」といって、

私が彼女の手を取った直後、

妻が、何を言ったのかは、

分からぬまま、まるで私の到着を

見届けるかのように、

義母の待つ天に、旅立っていきました…。

2016年9月17日、16時26分。

医師により死亡が確認された…。

享年48歳。 

もう2度と、苦しいコトも、

痛いコトも、辛いコトも感じる

コトの無い世界にね…。子供たちは

みんなが号泣 !、私は強く言った

「かあちゃんは天国に行ったとたい!」

斎場へ運ばれた、妻の遺体…。

今夜は、久しぶりに、ホント

久しぶりに妻の傍で眠りに就こうか

と思っていたんだけど、何故か長男に

先を越されてしまった(苦笑)…。

まぁしかし、いつも母親になにかと

反抗的な態度をとっていた長男だけど、

意外や意外。彼は彼なりに母親を

愛していたワケであったのだね。

よ~し分かった!アンタが

かあちゃんの傍に居ろ…。

だがしかし、母親に対して

そんな気持ちがあるならば、

生前にやっとけよ、生前に(怒)。

と思うのだが…。

 

天国の妻へ、

 

「今まで本当にありがとう。

安らかに眠ってください。」

あなたの至らぬ夫、

きーちゃん2より。


 


関連記事:心の準備

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心の準備 その2

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天国に行った、かあちゃん

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心の準備 その2

こんなハズではなかった…。

私の人生のシナリオには、最愛の妻が、

闘病生活の末に死別など、こんな事態は

想定されてはいない。これはマズい…。

私のブログは本来、私の大好きなコト、興味深い

コトを面白おかしく描く予定だったんだけど、

なんだか妻の闘病日記とかグチこぼし大会など、

クラい話題やおかしな路線に走ったりしてる(汗)。

楽しいハナシで読んで頂く方に「ギャハハ。」

笑って頂ける記事を書かなくては…。と、

思ってはいる。前回の続き…。「最終兵器」

使ってと、主治医の先生にお願いしてと、私に

訴えた妻のコトを受けて、今日は改めて家族一同で

来院し、先生にお会いした。 もしものコトが

あったなら、と、思って子供たちも、学校を欠席

させて、同席させた。先生のハナシでは、妻の

気持ちには波があって、気分の少し上がっている

ところに、話してみると、「姉に会ってみようか…。」

「子供たちと話してみよう。」と言ったりもする。



先生曰く、

「お子さんたちや、お義姉さん家族たちとも、今は

コミュニケーションを取れる時間が持てているので、

ずっと眠るお薬の使用は私は今のところ考えては

いません。本当に使うしかない、という状態に

ならなければ使いません。」というコトだった。

ホッとした…。

本人の意思を尊重して使いましょうか…。

なんて先生がおっしゃるかもと、内心私は恐れて

いたからである。しかし妻の容態は徐々に悪化して

きており、いつ急変するかは分からない。そこで、

我が家と義兄との両家族+義父が各々時間の

許す際には妻の病室にいて、本人が寂しくないように

してあげようということになった。私は昼間は来るのが

難しいので、夕方から夜、妻が眠る時間までいる

ことにした。彼女自身と家族のみんなが悔いの

残らないようにね。

昨日は幸い、義姉とその次女(中3)が夜までいて

くれたので、夜訪問の約束をしていた私は非常に

助かった。だけど私が到着してから結構夜遅くまで

彼女が眠る(眠るお薬を入れる、翌朝10頃に起きる)

と言わなかったので、結局帰宅が22時を回っていた。

おかげで気の毒に、ウチの子供たち、私が帰りに

ホカ弁を調達して持ち帰るまで晩ご飯を

食べられなかった(スマン)。冷蔵庫の食材を

切らしていた私が悪いんだけどね。何かあったら、

長男が調理をするとかできたんだけど…。

今回の出来事で、隣に住んでいるのにあんまり

行き来しなかった義姉家族とも久しぶり、たくさん

話すことができたりしたのは良いコトだと思う。

コレも、妻のおかげだろうか…?

STORY STORY

※関連記事:心の準備

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心の準備 その3

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心の準備 その4

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天国に行った、かあちゃん

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心の準備

今日は、珍しく早朝からじゃぁじゃぁ降りの雨。

夏休み期間中も、夕立ち的なゲリラ雨も少なく、

仕事もやりやすかったのだけれど、今日は

家から出たらいきなりの大雨。前日の私の

心情を表しているかのようなカンジ。何かって?

「涙雨」である…。8月下旬から入院している

妻のコトについて、先日義姉夫婦の同席のもと

主治医の先生のハナシを訊いた。妻の病状は以前、

腸の癒着を取るために手術をした箇所が、

狭まって閉塞していて食べ物が流れて行かず、

ご飯が食べられない…。かといって、閉塞を取り除く

開腹手術に耐えうる体力は、もはや彼女には

残っていない…。

しかし放置して置けば腹膜炎などを起こし、

容態が急変して亡くなってしまう可能性も否定

できない。どうしても苦しむ妻をラクにして

あげられる「Ultimate weapon」=「最終兵器」は、

薬により、深い、深~い、眠りに就く方法、これで

本人の苦しみは終わらせるコトが出来るけれども、

このお薬を使用すれば、もう二度と、話しかけても

揺り起こそうとしても、

再び彼女が起きるコトは無い…。つまりこれが

「今生の別れ」となるわけである。そのことを

LINEでお伝えした妻の大学時代の友人さんは、

激しく抵抗なさった…。「そんな現実、とても受け入れられない!」と。

無理もない、夫の私とて

受け入れがたい現実だからね。だけども現在の

最大の問題は、慢性的に彼女を苦しめている、

お腹やその他身体の痛み、お薬の使用による

吐き気などである。メンタルが落ち込んでいれば、

「もう、生きていてもしょうがない…。」とか

「死んだ方がマシ。」なんて言葉を発して

しまうのである。

妻の主治医の先生が、お話が

あるという。そこで、義父にも同席を頼んだ。

私一人では受け止めきれない現実を

言い渡されるかも知れないからである。

義父は「いいよ…行こう。」と快諾。先生の、

ひと通りの話の後、自宅に戻る義父が、

私の前に立ち、重々しくいった…。

「アンタが一番辛いのは分かるけど、

泣いても喚いても現実は変わらんよ…。」

心の準備を、しておきなさい…。

♪ショパン:ノクターン  第13番 ハ短調Op.48-1




「重い…。重すぎる」
10年前義母を病気で

失くした義父の言葉は、鉄よりも重かった…。

※関連記事:義母の十回忌に想うこと

http://kiichan2-tabiji.blog.so-net.ne.jp/2016-06-22

 

実は今日、妻がまたもや「最終兵器」の使用を

主治医の先生にお願いしてと、私に訴えてきた…。

「もう、身体がきつくて…。先生に眠る薬使ってって言って。」

「アンタ、何ばいよるとの!それば、使こたら、そこでお別れ

って言うコトばい。」

「もう、耐えられんと。もういいけん…。みんなに迷惑掛ける

けん。……今まで、ありがとう…。ありがとう(涙)。」

ずっと生きたいと言っていた妻が「死」を覚悟した。

私は無意識に、本当に無意識に彼女を抱きしめていた。

止めどなく溢れる涙をもはや止めるコトなど出来なかった…。

「ごめん!本当にごめん!!君にこんなに辛い

思いば、させてしもうてから!」

だけど、話そうにも、先生のいない時間帯である。

担当の看護師さんに何とか妻を説得してもらい、

翌日お昼に家族全員で先生と話すことにした…。


次回に続く…。


 

※関連記事:心の準備 その2

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心の準備 その3

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心の準備 その4

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想人~おもいで~ その2

前回の続き…。

結婚する前後の時期の妻、今でも忘れない

けれど、本当にピュアな笑顔だったんだね。

この笑顔をみているだけで、私もとても幸せな

気持ちになったものである。健康そのもので、

元気いっぱいな人だったからね。

この頃は二人とも、何をやっても、どこに行っても

楽しくてしょうがなかった。

山口県萩市で歩きまわった城下町の風景や、

jouka10.jpg

※画像hagicity.comより引用

須佐町のフォルンフェルス断層の海、

0132.JPG 

※画像kuros-x.sblo.jpより引用

津和野へ連れて行った際には、大学時代の

お友達(山口県内在住)に偶然ばったり

会ったりして大笑い!そのお友達には、

妻は後で連絡をとって、その方のお宅にお邪魔

したりした。

だいたい徹底的に趣味が合わない

私たち二人に唯一共通しているのは、温泉が好き。

湯原、玉造、皆生、湯村、羽合(あたくしの

ジョークのネタで、休みはハワイで過ごす!

なんてコトいって、みんなを驚かせたあと、

鳥取県のね、ってオチである。現在は鳥取県

東伯郡湯梨浜町となっている。)などの温泉に

泊まりに行った。2000年(平成12年)長男、

次男誕生。長男は自然分娩だったが、次男は

帝王切開。健康で丈夫な体を持つと自負する妻が

そこで自信喪失。家族で山陰、山陽の名所や

温泉に出掛けご当地のグルメに舌鼓を打つ。

その山陰、山陽地方への旅を重ねるうちに、

この風光明媚な土地に住んでみたいなぁ…。などと

私は思うようになっていった。今では、リタイア後の

田舎暮らしは、岡山で…。鷲羽山の麓の古民家で

瀬戸大橋を眺めながら、とか、いや湯原温泉の

旅館の女将さんが、総社辺りがいいよとか、

津山市が田舎暮らしを誘致しているとか、まぁ

田舎暮らしの魅力的なオファーが多いよね。そこで、

そんな暮らしをしながら、旅やグルメのエッセイなどを

執筆するエッセイストみたいになれたらいいね、

なんてのんきなコトを考えるようになっていた。

20160819213745.jpg 

※画像sonymemo.hateblo.jpより引用

2014年(平成26年)8月下旬。妻が体調不良を訴え

病院で検査を受け、直腸がんが発覚する。病院には

何もしなければ余命半年と言われる。10月から

11月末にかけて入院。原発巣である直腸の切除、

人工肛門(ストーマ)の設置。オストメイトとなり、

障碍者手帳4級となる。その後肝臓転移巣その他の

転移が見つかり治療のための入退院を繰り返す。

2016年(平成28年)4月頃より頻繁に身体の痛みを

訴えるようになる…。8月末、慢性化した身体の痛みに

耐えかねた妻、自らの意思により緩和ケア病棟に

入院。現在に至っている。

 

※関連記事:想人~おもいで~

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想人~おもいで~

私と、最愛の妻との想い出…。

♪想人~おもいで~/さらば宇宙戦艦ヤマト劇中曲より

1985年(昭和60年)父の店に就職して、

妻と初めて出会う。私20歳、妻16歳(高2)。

彼女は水泳の名手だったらしいが、

アラレちゃん眼鏡をかけた彼女、私は、とても

恋愛対象の外だねと思っていた(笑)後に眼鏡を

外した彼女の眼は吸い込まれそうな澄んだ瞳

だったのだけど…。妻は私をどう思っていたか、

イマイチ不明だが、当時茶髪でロン毛だった私の

シャンプーの香りで私が出勤してきたと、分かった

のだという…。だけど、義父から仕事のミスで

しょっちゅう怒られていたなぁ…。

っていう印象が彼女にはあったらしい。

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※画像nekosan61.exblog.jpより引用

1997年(平成9年)私が独立し自分の店を持つ。

死ぬほど忙しかった私は、妻に仕事を手伝って

もらうコトをきっかけに急接近。周囲の人たちが、

何故だか妻と付き合わないの?なんてコトを

チラホラ聞いてたりしてたけど、私はなんの

コトか分からず聞き流す。当時の私の愛車

JZA80スープラのパッセンジャーシートに彼女を

乗せ、いろんな場所に連れて行くが、

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)記念館はイマイチ

気に入らなかったらしい(苦笑)。後に判ったが、

実は周囲の方々は義父母と戦略的に私と妻を

くっつけようとしていたらしいのだが…。

知らぬは本人ばかりなりってワケ(苦笑)。

1998年(平成10年)10月、妻と結婚式を挙げる。

しかし式の翌日は、新婚旅行ならぬ夫婦そろって

お客様への集金業務だった。ひとりクルマ旅が

好きな私、私と結婚したらどんなところに行けるのか、

興味津々だったらしい。仕事は軌道に乗り、超多忙で

あったが収入もうなぎ上りで、私は銘シャンパン、

「ドン・ペリニョン」を月に十数本飲むような生活を

謳歌していた。これからもずっと、このような生活が

続くと信じていた、銀行マンからは、

「きーちゃん2先生」と呼ばれ、人生の勝利者、

成功者の仲間入りが出来ると信じて疑わなかった。

お休みの時は、2人して旅行の計画を立てて、

値段に糸目をつけず、贅沢な旅を楽しんでいたもの

だった。しばらくは2人だろうからと、それはそれは

本当に楽しい時期であった。親戚関係からは

「あなたと結婚してから、かぁちゃんちゃん、

すごく幸せそう…。」って言ってもらえた。

次回につづく…。

 

※関連記事:想人~おもいで~ その2

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