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51回目の誕生日

 昨日、1110日は、私の誕生日。

何と今日で生まれてから51年が経過した。

♪~25歳を越したら急に、「1年、1年が早いよね~。」と

槇原敬之さんの歌のようなことを

身に染みて感じているが、このセリフをあと9回言ったら

還暦である。

夜、隣の中2の姪っ子が、「きーちゃん2さんの誕生日だから。」

と言って、手作りのガトー・ショコラを持ってきてくれた。

何かついこの間まで、小っちゃくてトコトコ走ってた幼子が

今や中学生生活を送っている。時の経つ速さと共に、

ひときわ感慨深い想いを味わってもいる。

「齢をとるのも悪いことばかりではないなぁ。」ってね。

今日、妻の予定は緩和ケアの外来に掛かる予定だったのだが、

本人、今日は行きたくないからと予定をキャンセルしていた。

私が、「何で行かんとね?」と尋ねると、

「先生がイヤ!」、なんてことを言っている。

本人曰く、別に先生が嫌な事を言ったり、理解しがたいことを

言ったのでなく、至極まっとうなことを言っているのに

気持ちがラクにならないのだそう。

入院中の先生は、妻のいう事をじっくりと傾聴してくれたものだが

外来の先生は担当が違っていて、話をしていても、

何かしら断定的と言うか厳しさを感じるらしい。

これではとても「緩和」にはならないよねと言っている。

まぁ先生も人間なら、相手である患者も生身の人間である。

正論だけを説いて皆が納得するというのなら、人と人の争いも

起こらないし、ましてやそんな先生など必要なかろう。

がん患者に限らず、人はそれぞれの悩みや苦しみを持っている。

その様なメンタル的に弱っている人間は、正しいという事だけでは

納得しない。

例えば介護の分野では、職員は高齢者に対して、「受容」と

「傾聴」の姿勢で臨まねばならない。相手の気持ちを

「否定しない」、「馬鹿にしない」。

「あなたが介護を受ける立場だとしたら、“こんな介護をうけたい”

という介護をその方にしてさしあげる。」

たとえ相手のいう事が間違っていたとしても、である。

そんな場面で「〇〇さん、そうじゃなかとよ!」

などと言ってしまっては、おしまいである。

私の妻は認知症高齢者ではないが、介護の知識と経験はある。

やはりケアを受ける際にはそういう面には敏感である。

病院には、それなりの対応をお願い申し上げたい。


今日は前日に義父からプレゼントを頂いた。私の好みに

ぴったしの、赤、白のワイン。

(感謝感激雨あられ!俺は世界一の幸せ者だぁ~!!)

今夜は仕事帰りに、このボトルに合うオードブルを

見つけてきて、乾杯することにしよう(笑)。



ボージョレ・ヌーヴォーの解禁日も楽しみだしね。


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