愛情を装った脅迫?
妻が最近になって、フコイダンの飲用をやめてしまった。
そのことについて、義父からエライ注意された。
「アンタ続けんなら意味がなかばい、高いもん買うてから。」
「はぁ…。本人が拒否してて、何とか説得して飲ませますね。」
と、答えはしたのだが、いかんせん本人が効用を信じていない。
ていうか、この頃は病院の先生にまで不信感を募らせている。
「あの先生はキライ。」とか、「病院は良うなしてくれん…。」
などと言って今日の病院もまたもや「すっぽかし」であった。
元来、人をあんまり信用しない、というか疑り深い妻の事。
病気も手伝って、ますます不信感を増幅させているカンジ
なのである。ホントは今日、状態が良ければ
抗がん剤打つ予定だった。ただ、ここ2回ほどの投与で、
必ず本人の具合が悪くなるので、
私が「具合悪いのを押して打つことはない。」
と言って休ませている。
まぁ、それはともかく抗がん剤打たないというなら
フコイダンは継続して飲用していこうと彼女には勧めるが、
「嫌だ、飲みたくない。」と我が儘を言う妻に、訊ねた。
「あんたは早よ死にたかと?長生きしたかと?一体どっちの?」
「もう、どっちなのかも分からん…。」なんてことを言っている。
4月には次男が高校の、末っ子は小学校に上がる。
その晴れの姿を見られないかも知れない、などと言っている。
自分の亡き後、私に任せておいたら不備なコトだらけになると
今から心配している。
確かにそれは妻のいう事が当たっている(笑)。
「それだからこそ、君は生きっとかんといかんとばい。」
そんなに心配であれば尚更生きるモチベーションを
保てるのではないか?
だが、抗がん剤休むんだったら、
フコイダン飲用は継続しようと妻に勧めるが、
ここでまた彼女、とんでもないコトを言ってきた。
「じゃぁ、飲んでいいからアンタはお酒飲むのやめて。」
「ちょ~!」君の体調とあたくしの飲酒は
何の関連もないでしょ~が!
「アンタの身体も思ってのことやけん。
アタシの事を思うならできるハズやろ?」
来た来た来た…。
こういうのを、愛情を装った脅迫と言う(苦笑)。
私にお酒を飲むな、というのは
登山家に、山に登るなと言うのと同じである(笑)。
そっちの方がむしろ私は健康を害しそうだ…。
君…真実の愛とは脅迫的な観念とは無縁なのだよ。
「私を愛しているなら、お酒をやめてくれるハズ。」とか
「肉ばっかり食べるのをやめてくれるハズ。」なんて
ナンセンスである。
ソレとコレとは全然ハナシは別!!
ユダヤの諺でこういうのがある。
ワインを飲んでいる時間を無駄と思うな。
その間、あなたの心は休息しているのだから。